食べ方に関するマナーは国や地域で微妙に違うもので、日本でも、例えばそばをずるずる音を立てて食べるのが本来の食べ方だというところもあれば、音を立てて食べるのははしたないという地方もある。
食事は箸やナイフ・フォークを使わず手で食べる国もある。
前の人の食べ残しを次の人が食べるのが当たり前の国もあるが、日本ではそれをやった有名料亭はつぶれてしまった。
だが、ある程度以上文化的な生活を国民のほとんどが営んでいる国、つまり多くの国での最低限の基本マナーは共通しているのではないかと思う。
それは、ぺちゃぺちゃくちゃくちゃと、咀嚼するときの音を立てないということ。これは大抵の人が幼児期に親から躾けられるのではないかと思う。
いや、思っていた。
ところが、そうでもないようだということを最近知った。
某大学で講師を勤めるA氏。妻子ある、ちょっと見た感じは遊び人ふうのおしゃれなおっさんで、相当遊んでいると自分でもおっしゃるんだが、このA先生がとにかくよく音を鳴らして物を食べる。
あまりの音に、最初、同席した別の人と思わず顔を見合わせた。次に、隣のテーブルの人を見ると、その2人連れも驚いたような表情でA先生を見ていた。
仕事関係で知り合ったので私生活を詳しくは知らないし興味もないが、妻子は平気なのか。はたまた彼女は平気なのか、それだけはすごく気になる。だって、私は5分と我慢できず、食事を諦めて洗面所へ避難したのだから。それくらいひどい食べ方なのだ。あれを我慢できる人がいるとはちょっと信じがたい。
そう感じていたのは私だけではないようで、あるとき、ある男性がA先生にさりげなく音を立てない方がマナーに叶っているというようなことを言った。すると、A先生は、何言ってるか分からないといった表情になったが、少し考えたのち、「ああ、それ、おいしいときの食べ方や。おいしいとき、舌鳴らすでしょ」
いや、鳴らさん。
それ、もしかして舌鼓を打つって言いたいのか? それに「おいしいとき」って、あんた、ずーっと慣らしっぱなしやん。
そんな私の心の中を見抜いたかのように、彼はさらに、
「おいしいものはおいしいって表現しないと、作った人に失礼やんか」
言葉で表現すればいいのでは?
第一、厨房に行って料理人の前でぺちゃぺちゃくちゃくちゃやるわけでもないだろう。ぺちゃぺちゃくちゃくちゃを聞かされるのは同席している人間で、作った人などおらんやないか。おいしいならおいしいと、店の人に言葉で言えばいいのだ。
音を鳴らして食べる人がたまにいるのは知っているが、アカデミックな職業に就いていて、人を指導する立場の人が犬猫も驚くような食べ方を肯定するって、何だかすごいショックだった。
マナーについては最近褒められることが増えてきた日本に、こんな人種がいるんだなあ。
身なりが立派でも、立ち居振る舞いが優雅でも、たった一つのマナー違反で、プラス面はすべてなかったことになってしまう。そればかりか、マナー違反の事実を引き立てる材料にすらなりかねない。「あの人、着てる物はきれいでも食べ方は汚いのよ」なんてね。
逆に、安っぽい格好をしていても、例えば魚の食べ方がきれいだったら「あの人、一見あんなふうだけど、すごくきちんとしているのよ」なんていうこともある。
「お里が知れる」という言葉があるが、人は人を見ながらその背景にあるものも見る。たかだか食べ方と侮れない。食事のマナーの躾は、子供だけでなく育てた自分が恥をかかないためにも必要なのだ。
食事は箸やナイフ・フォークを使わず手で食べる国もある。
前の人の食べ残しを次の人が食べるのが当たり前の国もあるが、日本ではそれをやった有名料亭はつぶれてしまった。
だが、ある程度以上文化的な生活を国民のほとんどが営んでいる国、つまり多くの国での最低限の基本マナーは共通しているのではないかと思う。
それは、ぺちゃぺちゃくちゃくちゃと、咀嚼するときの音を立てないということ。これは大抵の人が幼児期に親から躾けられるのではないかと思う。
いや、思っていた。
ところが、そうでもないようだということを最近知った。
某大学で講師を勤めるA氏。妻子ある、ちょっと見た感じは遊び人ふうのおしゃれなおっさんで、相当遊んでいると自分でもおっしゃるんだが、このA先生がとにかくよく音を鳴らして物を食べる。
あまりの音に、最初、同席した別の人と思わず顔を見合わせた。次に、隣のテーブルの人を見ると、その2人連れも驚いたような表情でA先生を見ていた。
仕事関係で知り合ったので私生活を詳しくは知らないし興味もないが、妻子は平気なのか。はたまた彼女は平気なのか、それだけはすごく気になる。だって、私は5分と我慢できず、食事を諦めて洗面所へ避難したのだから。それくらいひどい食べ方なのだ。あれを我慢できる人がいるとはちょっと信じがたい。
そう感じていたのは私だけではないようで、あるとき、ある男性がA先生にさりげなく音を立てない方がマナーに叶っているというようなことを言った。すると、A先生は、何言ってるか分からないといった表情になったが、少し考えたのち、「ああ、それ、おいしいときの食べ方や。おいしいとき、舌鳴らすでしょ」
いや、鳴らさん。
それ、もしかして舌鼓を打つって言いたいのか? それに「おいしいとき」って、あんた、ずーっと慣らしっぱなしやん。
そんな私の心の中を見抜いたかのように、彼はさらに、
「おいしいものはおいしいって表現しないと、作った人に失礼やんか」
言葉で表現すればいいのでは?
第一、厨房に行って料理人の前でぺちゃぺちゃくちゃくちゃやるわけでもないだろう。ぺちゃぺちゃくちゃくちゃを聞かされるのは同席している人間で、作った人などおらんやないか。おいしいならおいしいと、店の人に言葉で言えばいいのだ。
音を鳴らして食べる人がたまにいるのは知っているが、アカデミックな職業に就いていて、人を指導する立場の人が犬猫も驚くような食べ方を肯定するって、何だかすごいショックだった。
マナーについては最近褒められることが増えてきた日本に、こんな人種がいるんだなあ。
身なりが立派でも、立ち居振る舞いが優雅でも、たった一つのマナー違反で、プラス面はすべてなかったことになってしまう。そればかりか、マナー違反の事実を引き立てる材料にすらなりかねない。「あの人、着てる物はきれいでも食べ方は汚いのよ」なんてね。
逆に、安っぽい格好をしていても、例えば魚の食べ方がきれいだったら「あの人、一見あんなふうだけど、すごくきちんとしているのよ」なんていうこともある。
「お里が知れる」という言葉があるが、人は人を見ながらその背景にあるものも見る。たかだか食べ方と侮れない。食事のマナーの躾は、子供だけでなく育てた自分が恥をかかないためにも必要なのだ。