【練馬区立美術館】
生誕150年
「池上秀畝-高精細画人-」
会期:2024年3月16日(土)ー4月21日(日)
先日、行ってきました。
会期終了近くで、人が多かったです
池上秀畝(1874–1944)は、
長野県上伊那郡高遠町(現:伊那市)生まれ。
明治22(1889)年、本格的に絵を学ぶため上京。当時まだ無名だった荒木寛畝の最初の門人・内弟子となります。大正5年(1916)から3年連続で文展特選を受賞。また、官展内の「旧派」を代表する画家として活躍しました。
同じ長野県出身で同い年の菱田春草(1874-1911)らがけん引した「新派」の日本画に比べ、池上秀畝らの「旧派」と呼ばれる作品は近年展覧会等で取り上げられることは少なく、知名度も限られたものでした。
失礼ながら、??、と何も知らなかったので、すべてが新鮮でした。
残念ながら展示室内は撮影だったため、ロビーの場所での撮影と、その他の画像については”チラシ”からです。
🏳ロビー天井のバナー~《桃に青鸞図》
裏側からは透けて見えます。
最初の展示室からうっとり
秀畝が描いた花鳥図(春夏秋冬)、いい!!
⇩池上秀畝《四季花鳥図(夏)》大正7(1918)年
紙本着色 長野県立美術館蔵
大作が多く迫力満点の作品ばかりでした。
エネルギッシュじゃないと、このような大きな作品は描けないでしょうね。。
⇩池上秀畝《桃に青鸞図》昭和3(1928)年
板戸着色 オーストラリア大使館蔵
杉戸絵。板に描かれています。
色鮮やかで躍動的。草木とともに細かな描きです。
”鳥”は、花鳥画家として名を成した師匠の”荒木寛畝”から受け継ぎ、池上秀畝が生涯その画力を発揮し続けた題材でした。
そして、同郷で同じ年の菱田春草。横山大観や下村観山とともに、開校間もない東京美術学校に入学。岡倉天心らのもとで、近代的教育制度のもとで学びます。その後”新派”と呼ばれるメンバーが集まっていきます。
⇩菱田春草《羅浮仙》明治34(1901)年
絹本着色 長野県立美術館蔵
対して、池上秀畝は荒木寛畝に弟子入りし、師弟関係から学んでいきます。この伝統的な制度によるものが”旧派”。秀畝はその代表的な画家でした。
展示室では、菱田春草と池上秀畝の描く女性の作品が並べられています↑
描く女性の表情が違うこと!? 画像はありませんが、秀畝の描いた女性のぽか~んとしたとぼけた表情が何ともいえず印象に残りました
秀畝の作品には、鳥🐦や鹿🦌など動物が描かれているものが多くあります。
師匠の荒木寛畝から写生をすることを叩き込まれたため、動物の毛を1本1本丁寧に描いた写生画も展示されています。
そして、この展覧会では、秀畝が官展で特選を受賞した作品や、かつての「目黒雅叙園」の天井や壁を飾っていた作品も紹介されていて、正確なデッサン力の秀畝の作品が様々な所蔵先から集められています。
「旧目黒雅叙園」には”秀畝の間”というのもあり、天井画などを手がけた映像が流れていて、必見です
さらに最後に《神風》という作品がありました。
なかなか忘れられないです。
●池上秀畝《神風》1943年 靖国神社遊就館蔵
荒れ狂う波と翻弄される船、金色の炎が描かれた作品。
時代は大戦中、タイトルは「神風」。”怒り”が込められているのでしょうか。
秀畝の最晩年の作品。70歳の時の作品です。
この作品には、晩年の1年のみ使用したという「古希」の画印も押されています。
このスケールの大きさと、最後まで描き続けて衰えなかった意欲には驚きました。
「池上秀畝」を知らなかったこともあり、2周して何度も見返しました
池上秀畝の生誕150年にあたって彼の人生と代表作を辿った展覧会です。
展示替えもあったようで、前期もみたかったです。。。(涙)
あと数日、4/21(日)まで。
巡回
●長野県立美術館
会期:2024年5月25日(土)~6月30日(日)
練馬区立美術館に隣接する
「練馬区立美術の森緑地」
仕事休憩の方がいたり、ファミリーが過ごしています。とても穏やかな日でした
(2024/4 撮影)