都会暮らし vs 田舎暮らし。コロナ禍で浮き彫りになる、”土から離れた暮らし”の危うさとは。
私は、名古屋という都市で生まれ育ちました。中心街にも自転車で行けるような場所にある、実家のマンション。祖父母も親戚もみな名古屋市内に住んでおり、田舎を知らない、典型的な都会っ子として育ったと思います。そんな私ですが、以前、九州のとある田舎町に暮らしていたことがあります。そこでは、畑をかりて野菜を育て、季節のものを収穫し料理して過ごしたりしていました。その町へは人とのご縁で行ったということもあり、当時の私はとくに田舎暮らしを志向していたわけでもなかったのですが、実際に暮らしてみて、土が近くにある生活も悪くないな、と感じたことを覚えています。そして今。コロナの影響もあり、生活が不安定になっていたり、将来への不安が募ったりしている人も、多くなっているかと思います。私自身の生活にも少なからず影響は出ているのですが、私はといえば、心のどこかで「最悪、死ぬだけだ」と腹を括っているような部分もあり、また、どちらかと言えば楽天的に考えるということもあって、貯金がなかろうが収入がなかろうが、その時はそれなりに暮らしていくだけだ、という感じで、とくに精神的に落ち込んだりするようなことはなく、それよりは前向きな未来に向けて進むべく日々を過ごしています。そんな私でも、今の世の中の動きを見ていると、自身の生活や人生を見つめ直すような機会もあり、その中で、繰り返し思考にのぼってくるようになったことがあります。それは、「都会」というシステムの脆弱さ、そして、もっと言うならば、「お金」というもの”だけ”を生活の基盤として生きていくことの、圧倒的な不安定さ、ということです。*私たち人間の生きていく基盤は何か、というと、やはり「衣食住」でしょう。着るもの、食べるもの、そして住むところ。この三つがそろって初めて、私たちは最低限の”生活”というものを営んでいけると思うのですが、とくに都会においては、これらすべてを、あるいはその多くを、「お金」によって手に入れているという現状があると思います。住んでいるところが賃貸だったり、食べるものをスーパーマーケットで購入したり。このような生活をしていて、もしも何かのキッカケで「お金」がなくなってしまったら。生活そのものが破綻してしまう、ということになります。生きていけなくなるのです。(家賃補助や生活保護などもありますが、条件などもあいまって、なかなか厳しいと聞きます)一方で、例えばもし、田舎暮らしなどで、自分たちが食べていける分くらいの食料を自給自足する生活を送っていたら。飲み水を確保できるような井戸が自宅にあったら。万が一、仕事を失い、お金が無くなっても、最低限、命をつないでいくことはできると思います。ですから問題の本質は、都会暮らしか田舎暮らしか、というよりは、生活の基盤を「お金」以外のところに持っているか否か、ということになりますね。私自身、これまではすべての生活基盤を「お金」に置いていましたが、これからは、より自給自足に近い生活へとシフトしていくことを考えています。この先の日本、本当に何が起こるかわかりません。経済が破綻したり、預金封鎖なんかが起こるかもしれない。今のコロナだって、誰も予測していなければ備えもしていなかったと思います。不測の事態に備えるとしたら、最低限の生活の基盤をお金以外のところに持って、お金が無くなったとしても命を繋いでいくことができるようにしておく。その上で、お金を得るための仕事もしていく。そんな生活が、何よりの備えになるのではないでしょうか。*有名なジブリ作品『天空の城ラピュタ』で、ヒロインのシータがこんなことを言います。 「今は、ラピュタがなぜ滅びたのか、私よくわかる。 ゴンドアの谷の歌にあるもの。 土に根を下ろし、風と共に生きよう 種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう どんなに恐ろしい武器を持っても、 沢山の、かわいそうなロボットを操っても、 土から離れては生きられないのよ!」 土から離れては生きられない…利便性を追求した都会に住んでいると見失いがちですが、私たち人間も、本来、自然の一部です。自然から離れすぎたり、自然を壊し続けるような生き方をしていれば、私たちの文明もまた、いつか滅んでしまうのではないでしょうか。そもそも貨幣経済自体、人間が発明したものであって、自然の産物ではありません。過去、人類が生み出したいくつもの文明が滅んできたことを考えると、貨幣経済を含む現代文明だって、「いつまで続くかわからない」というのが本当のところです。そして、人間として「生きる」ことの本質を突き詰めていくと、「土」「水」「自然」といったところに立ち戻っていくように思います。より安全に、あるいはより真剣に生きていくために、お金に全幅の信頼を置いた"都会暮らし"からシフトして、より"土に近い暮らし"を、自ら選択する。それもまた、コロナ禍による経済的ピンチから学びとれる、新たな生き方のひとつかもしれません。