2010年9月
~一般病室の日々~



入院中、何が一番イヤだったか!?って云うと



私の場合は採血だった。



医師でも
まともには採れない。



ICUにいた時は、何処からどうやって採ってたのか?


記憶にないが、ありさん先生に



『後、何回採血をすればいいの?』



って聞いたら



ありさん先生は、



『うーんしょぼん後2回かな~』って、確かに答えた。



この男は、優しさの宝箱のような心の持ち主だから



優し過ぎて、一年後の別れの日が来るまで何度も嘘をつく事になる。



2回どころか!



その後私の生涯に渡って、採血は続くのだった!。



車椅子病院一般病棟に、移されてからは



ラガー先生が採血をすることになった。



ピンクのカーテンを閉め切り、足の付けねから採血する。



そうビックリマーク~そこは、股間だショック!!!



22キロの水とむくみで、私の身体は、ここからしか


採血不可能の身体になっていたのだ!!



『みっちょさんの採血が簡単になる頃は、医療がかなり進んだ時ですね~』



っとナースさんに言われた程難しいらしいしょぼんダウン




車椅子病院一般病室・・・



シーンっと、静まりかえる早朝



私の動脈採血は行われていた。



ピンクのカーテンを閉め切り、ラガー先生に股間から血を採って貰う。



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若い男と2人きり



普通のパンティだったら
とっても、エロティックだハート



搬送前の病院にいた時から洗濯する姑に遠慮して



私はパンティの替わりに
『のびのびムーニちゃんヒヨコ』を履いていた。



このブログで、前の病院の様子を記した時のように



履かせるオムツ音符
『ムーニーマン音符』は



長男の出生時期に開発され


子どもが、タッチして動き始める頃は発売された!





*「紙を、組み合わせて立体化して紙オムツを作ろう!!晴れ



っと、発案した~当時のメーカーの企画者は



ビル社内で、【変態】扱いされたにひひビックリマークって云う



エピソードが、残っているという話しだ!!



子育てで、散々見馴れている



パンツタイプの紙オムツをパンティ替わりに履くことに



私は、抵抗感はなかった!


履くタイプの大人用紙オムツも、幼児用と同じ



胴回りと足回りは
ビニョー( -_・)?んっと伸びて楽々だ!!



研修医4ヵ月目の若いラガー先生は、チャリ自転車を走らせて



病院に向かい、白衣を羽織ると、朝イチで
みっちょさんの元に急ぐ長音記号2走る人あせる



まだ、冷たく冷えきったパーをしている。



みんなが寝静まっている時間に


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ピンクのカーテンの中にラガー先生は



飛び込んで来て、



採血は、行われた!!



私は
『のびのびムーニーちゃん(大人用紙オムツ)』の右の足の付け根を



ビニョーんと伸ばしてひたすら一発成功を待つビックリマーク



彼のまだ冷たいパーが身体に触れる!


!!


これで
全くエロティックな感じは消えて行えたビックリマーク




でも
動脈からの採血は、毎回痛くてとってもイヤだったしょぼん!!




おしまいにひひ




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