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[奇跡の生還]を遂げた話しの
ついでに


【もう1つの命の奇跡!】
の話しを書き綴っておきたい。



このブログにたまに出て来る…


ミュージシャンになる夢に挑戦している次男坊が5歳の時の事故である。



■記録■
・1999年
平成11年1月16日(土)



温かいとは言え1月のある日。



『大変だぁ~!つっくんが滑り台から墜ちたぁ~!』


長男(10歳)が家の中に駆け込んで来た。



私は
慢性疲労症候群のため相変わらず
ベッドに横たわっていた。


時刻は午後2時頃だった。

玄関に飛び出すと長男の友達が3名ほど
一緒に呼びに来てくれた。


私はカギを持ち、家カギをかけて

家の脇の急な坂道を公園に向かって駆け出した。

っとすぐ

ベビーカーを押して坂を登って来た若いママと出会った。


全く知らない方だが、その方は
我が家を知っているみたいだった。

(何か言っている!)

どうやら、この方も心配して私を呼びに

わざわざ駆け付けてくれたようだった。


ベビーカーを押してまで、知らせに来てくれる大人の存在に


何やら大きな事が起こったようだ!っと思った。



急な坂道を下り、高級住宅が並ぶ道路を50メートルほど行き


公園に繋がる細い階段を駆け降りると


公園の真ん中に位置して滑り台がある。


滑り台の左手側に人だかりが…。 目



土曜日の昼下り…。

公園は保護者が多数子どもと一緒に遊びに来ている日時だった。



行って見ると

次男の頭の下にパーのひらを敷き


右腕をかざしてくれている男性がいた。


次男は仰向けに地面に倒れていた。


その男性の物らしき、高級そうな革のジャンパーがその身体にかけられていた。


誰かが
『お母さんが来たよぉ~!!』と叫んだ。


側に駆け寄ると次男は身体を少し上げて

私の顔を見つけると

【とても安心したような表情をした。】



クローバー[この時のあの子のあの目は]クローバー
    クローバー生涯忘れない!クローバー


この表情を見て

この時
『私が確かに自分の母親であると
この子が認めているビックリマーク

と妙な確信を感じた。




パーを差しのべてくれている男性が

「滑り台から墜ちて倒れ
1度立ち上がったから大丈夫だと思う…」

と説明してくれた。



私は冷静だった。

すぐに
男性に名刺を持っているか?

尋ねた。

そして
「後日お礼に伺いたい」

旨を告げると


男性は
『いやいや、自分はただ こうしているだけだから…』

っと言った。
男性の若さから、小さな子どものお父さんだと推測した。



『今、救急車呼んだから…頭打っているかもしれないから!』


と話しかけて来た男性を見上げると


主人の兄だった。


この頃
(姑の長男一家と姑の長女一家は
私の自宅の隣の隣に住んでいた。)


ややこしい話しだが
主人の兄と妹が、極 近所に住んでいた。


と言う事だ。



義兄が携帯で救急車を呼んでくれていた。


数分程で救急車が到着した。



救急隊員が3名近寄って来た。


誰かが
『滑り台から墜ちた!』
と言うと


隊員の一人が、滑り台を見上げて



(高さが)
『3メートルくらいだなぁ~』
とのんびり呟いた。



隊員は、3名共にかなりの中年~熟年者だった。




[タンカーを持って降りて来ていない!?]



「公園の遊具から墜ちた!」
などと言う119番は日常茶飯事なのであろう。


そして
そのほとんどが何ともない事で呼び出され続けているのだろう。


だから、タンカーを持って降りて来なかったのだ…。

っとすぐ察した。



『あんた、お母さん?

お母さんが抱っこして連れて来て。

その方がいいから…』



私はとっさに義兄に

携帯と何か衣類を貸して欲しい」
と頼んだ。



義兄は、連れて来ていた5歳の娘のジャケットを脱がせて貸してくれた。



そして

私は
現在地から救急車迄の距離を見上げて


途方に暮れた。[しょぼん]


私は、ずっと病弱であった。

5歳になる息子を抱き抱えて

あの坂の上の救急車まで歩くなんて…

そんな難儀な事…。

体力の自信がない![ガーン]


私にとって、それは
果てしなく
【無謀】と云う難題だった!


だが、救急隊員の指示に

『はい』

と従って


息子を抱き抱えて救急車に向かって歩き出した。


振り向いて
取り囲んで集まって、心配して見ている

群衆にお礼を言って頭を下げた。



一部始終を目の前で見ていた
長男に携帯と衣類を持たせ


共に隊員の後ろを黙々と歩き出した。



私は5歳の息子を抱き上げた事すらなかった。


落としそうになりながら
  ふらふらになってあしいた。


頭の中では1つの事が、ぐるぐるまわっていた。



「頭を打っている場合は身体を動かしちゃいけないって

子供の頃から知っている!

今、落としそうなほどぐらぐら揺らして

この子を動かしている。

こんな事して・・・

い・い・の?」




公園から坂を登った場所に救急車は止まっていた。



体力の無い母親に

頭をぐらぐら揺らされながら抱き運ばれている


わが子の頭は


[頭蓋骨骨折・頭蓋骨陥没・脳挫傷・くも膜下出血・脳内出血]

を起こしていた。




つづくダウン



P.S
この公園は何を創造して設計したのだろう…。


出来た時、新しいタイプの公園か?と思った!


滑り台は過去に見た事がない!
幅2メートル程?広く


ステンレス部分が波をうった型で、柵はまったく無い。


その滑り台から一方に長~い縄ばしごがあり

つきやまに繋がり


もう一方は、滑り台の高さから、大きな網が地面に向けて、斜めに張ってある。


私はこの網の最上部から小1の男児が落下したのを目の前で

  目

た!


幸い元気に立ち上がり帰ったが


どこからでも、子どもが墜ちて来そうな不思議な造りだと思っていた。


都会的NEWコンセプトの公園?
NEWタイプのアスレチック?



次男が落下して4~5年後あたり…
(小3の時)

つき山は取り壊され

滑り台は細い幅・高い柵



高い位置の遊具はすべて
やたら高い柵で囲まれた。



少年が落下した網のアスレチックはもう無い。



次男が助からなかったら!
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※【追記】
この年1999年平成11年

母の難病
[原発性肺高血圧症]日本における治療元年
・4月フローラン発売
・9月経口ベラプロスト(ドルナー・プロサイリン)正式承認
となる。



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