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悲傷 少年兵の戦歴
平和の礎となった15歳

「竹槍事件と紅顔部隊」からの引用です


自分は心ひそかに死を決意して

戦局の真相を伝える原稿を書いた

東条首相の激怒を買い

懲罰召集を食って

一介の二等兵として沖縄

硫黄島方面へ追いやられようとしたが

奇跡的に助かった

けれども

巻き添えを食った多数の戦友は

硫黄島に送られ

みな死んでしまった

私は海軍報道班員としてフィリピンへ派遣された

私の従軍した海軍航空部隊は特別攻撃の戦いを決行

壊滅した

私は飛行機がなくなる直前

「戦争の真相を講演してほしい」という部隊の委嘱をうけ

内地出張の命令で帰還した

そして生きて

いまここにいる

だが、航空部隊の若人はみな死んでしまい

報道班員の多くも還らない

何という運命だろう

(中略)

特攻隊の大部分は16歳から23歳までの若人

予備学生や少年航空兵出身者がほとんどであった

日本海軍は

兵学校の海軍から

学生、少年の海軍に変わっていたのである

戦局はまさに湊川の戦いであった

その湊川に、出て行くのは正成ではなくて

正行だったのである

(中略)

特攻隊は航空部隊から潜水艦部隊に拡大

人間魚雷の出現となった

乗員はみな少年である

太平洋戦争は

かくて末期にはついに少年の戦いとなった

いな、少年をここまで追いやったのである