なんでだろう。って思うことはたくさんたくさんあって、
小さい頃、大人になったら、お兄ちゃんの歳になったらわかるかなって、ずっとずっと思ってきたこと、
あのときのお兄ちゃんの歳になっても、あの時のお兄ちゃんより歳を重ねても、なに一つわからなくて、
わかったのは、お兄ちゃんもわかってなかったんだなってこと。
それでも涙ひとつ見せないで、弱音もあまり吐かなかったのは、強がりなのか、私のためなのか
それすらもわからないまま。
中学生の頃お家が大嫌いで、逃げ場はなくて、どうしようもなかった過呼吸になるような家に帰っては泣いての繰り返し。
中学1年生の頃の私のクラスの担任の先生は、見るからに、そして口を開いてもやはり熱血中の熱血教師でした。数学担当の先生で。
その時の私はみんな死んでしまえ、とか、不幸になれとか、そんなことばっかり思ってて(今考えたら相当性格悪い)、だからその先生のことも大嫌いで、毎日のように『先生のクラスになりたくなかった』とか
そんなことばっかり言ってみたい。
その先生は私が毎日毎日、ここには書けないような言葉も言ってたのに、毎日毎日懲りずに話しかけてくれました。最初は、ウザさしか感じなかったんだけどね、当時1番仲よかった男子に『お前、一回ひと嫌ったらずっと嫌い続けんのかよ』って説教されて、見方変えたら、世界が変わったようにその先生も良い先生に思えてきて、、、
毎日喧嘩してたのに、すこーしずつ毎日楽しく話す仲になって、良い先生だって気づいたのは二学期からだったから残り少ない中1の生活は、一学期の自分を恨んだ。
相変わらず、お家は大嫌い。
お家に帰ったら、誰もいなくて帰ってきだと思ったら知らないひとの声もおまけ。
言葉を発するより、涙を流す回数の方が多かった。
家ではそんな生活をおくって、学校ではようやく素直になれてきて、学校にいた知り合いほとんどから顔が柔らかくなったっていわれた。そのくらいきつい顔してたみたい。よく見てるなってって思ったのを覚えてる。
そんな家のこと誰に話せるわけでもなくて、話したくもないしね。
中学2年生になったら、熱血先生のクラスにはなれなかったけど、数学が出来なかった私に熱血先生は土日返上して私に数学を教えに学校にきてくれてました。
20点から90点までupしたよ。(元が悪すぎ)
そんなこんなで、中学2年生、楽しく終えて、中学3年生に上がるとき、熱血先生が転任することになって、毎日話しては泣いて話しては泣いて。
今思えば家でも泣いて、学校でも泣いてよくそんな涙あったなって思うね(´・Д・)」
熱血先生と学校では会うのが最後の日、ずっと疑問に思ってことをきいた
『なんで酷いことあんなに言ったのに見捨てなかったの?』って
そしたら
『人を困らせる奴はそいつが1番困ってるんだ』って。『大変なのわかってから、何か力になりたかった』って言ってくれて、大人が大嫌いだった私にとって熱血教師は神様みたいにみえたよ。
熱血教師に出会って私はめちゃくちゃ変わって、人とまともに会話できるようになったなと思う。
今でもたまに連絡とって、励ましてもらったりしてる。
高校にはいったら、ある少年にあった。
自分ってなにもないなぁって思ってた。
この頃も相変わらず家が大嫌いだったし、状況はなにも変わらない、
毎晩泣いて学校に行くと、少年だけは、目の腫れに気付いてくれてて、最初はなんで気づくんだろう、、嫌だなの思っての。
でもその少年はバンドをやってて、みんなから好かれるような人だった、
私は音楽が大好きだったし、バンドも組みたかった。でも勇気もないし、自分にできるはずないって思ってた。
ある日タワレコに行った時、在仙バンドのCDコーナーがあって、そこに置かれてたのが、仙台のバンドアンテナ先輩のCDだった。視聴して、自らインディーズバンドの音楽を聴くのは初めてだったけど、一瞬で心を持ってかれて、後日購入しました。
その頃はBUMPとアンテナしかきいてなかった。
そんな頃に、同じ高校のバンド少年に、仙台のアンテナってしってる?って帰りのHRでいわれて、しってる!って目見開いて言ったのを覚えてる。ちょうど数週間後にアンテナ企画があることをおしえてもらって行くことに。
今までにないくらいの衝撃をうけて、帰り道もずっとホワホワしてたのを覚えてます、
それから2014年10月らへんのアンテナ企画に、そのバンド少年と一緒にいって、バンドやらないの?っていわれて。
やりたいけど、怖い。
っていったら、
『自分のやりたいことやれば良いんだよ』
っていってくれて、単純な言葉だけどそうだなって思って決意してその日12月に路上ライブをすることを決めた。
まだまだ今よりヘッタクソだったけど、ソコソコの人数の人が聞いてくれて、緊張したけど、あれが全てのスタートで、
彼の一言で私はバンドをやることを決意した。
5月らへんに今のパレットのドラムひかりさんと出会って、8月に2人でライブして、9月にあすかさんがはいって。
10月8日に初ライブ。
だんだん知っていってもらえて、周りの恵まれすぎているほどの環境を与えていただけたな。と。
だんだん家も嫌じゃなくなって。
嫌じゃなくなったというか、慣れてきて、なんとなく感情のコントロールもできるようになって、
振り返ったら、とても辛くて、痛くて、悲しくて、みたいなそんなのしかなくて、同い年の人が体験できないような辛さ味わってるって独りよがりに思ってた。いや思ってる。今も。ってそんな風に思ってる人がいるんだろうなって思って、
最近は少しずつ違うニュアンスの歌詞も書けるようになったけど最初はもっぱらそんなことばっかり書いてた
大人パラレルワールドなんかは、
勝手に結婚して勝手に産んで勝手に捨てて勝手に分かれて勝手に新しく、、
みたいな小さいときからの気持ちを込めた曲だし、
わからないだらけだけど、今は理由はないけど納得して、誰も憎めない自分がいて、家族大好きな自分がいて、悔しいけど、大切だなと思って、
自分の辛かった過去にすがってるのは自分でもわかってるけど、
この辛いな痛いな悲しいな死んでしまいたい、
みたいな気持ちを歌詞にして、誰か共感してくれて救われるまではいかなくても、なにかこころの支えになったりしたら良いなって
経験した意味あんじゃんって思える
ようになったから
バンド組んでよかったっていう
お話でした!!笑
今でも辛く痛くなるときあるけど、
生きてなきゃ楽しくなれない
もっと出会わなきゃ
