産院でも言われ、どの育児書にも載っているBabyの食事と一体化されている重要なペアレンツの役割。

そう、「ゲップ」だ。

ヨーロッパでは、オナラよりもハシタナイとされるあのゲップを大いにさせることが親に課せられた重要な課題なんである。

ちなみに父親である俺は、いつでもどこでもコンビニエンスにゲップが出せる特技を持っている。

小学生時代、この特技によって男子のクラスメートからは絶賛され、女子からは異常にキモがられる、という経験を持つ俺は、息子にも余裕で「ゲップ」なんぞは伝授できると思っていた。

一日に多い時で10数回ある母乳タイムで「必ず」ゲップさせなくてはゲロを吐いてしまい、下手したら気道が詰まるというリスクがあると脅された我々はBabyを立て抱きにし片方の肩に胸を乗せて背中を叩くナース直伝の方法を幾度となく試みた。

「・・・・・・・・・・・。」

ゲップの「ゲ」の字もないのである。

「へ?!」

やり方がマズイのかもしれない。

腹いっぱいになって満足して「zzzzzzzzz...」という状態の我が息子を上に下へ、縦に横への大騒ぎでゲップをさせようとするが、全然出ない。

あげくには、ちらと片目を開けたかと思うと「ギャー」と泣きだした。

ウチは今のところ100%母乳で、母乳は哺乳瓶と違って「(乳房の中が)真空パック」になっているので、赤ちゃんの飲み方が上手いとほとんど空気を含まないで飲んでいるらしい。

哺乳瓶の場合は、ゲップを出さないと腹がパンパンでつらいらしい。

確かに、炭酸飲料を飲みながら真剣な会議かなんかに出席している時にはゲップを抑えなくてはいけなくて相当つらい思いをするが、きっとそれと同じくらいつらいんだろう。

でも母乳の場合は、そんなつらくないのかもしれない。

それをパパとママが「これでもか!」とむりやりゲップをさせようとしてるんだから堪らない。

ということで、たまに「ブッフ!♪」とゲップをしてくれる場合もあるが、そうでない場合は

立て抱きを23分して、そのまま「横向き」で寝かすことにした。

やはり「気道がつまるリスク」というのは恐ろしいので、回避のために「横向き」は当面必須だという判断をしたのだった。

とにかく「泣く」!大いに、豪快に泣く、泣きに泣く。


新生児である3か月くらいは、

これこそが唯一のコミュニケーション、そして運動なのだそうだが、

新米ペアレンツな我々夫婦は、当然戸惑うしかなかった。


「どうした!?腹か?ウンチか?げ、どっちでもないとしたらなんだ?」

「パパの足が臭いんじゃない?」

「えっ!?」


みたいな感じで、最初の数日は要領を得ず、未だもってそうなのだが、

切に思うのはこの子の言いたいことが分かれば、対処してあげられるのに、ということだ。


今は、とにかく情報が豊富で色々なことがネットで検索できるし、色々なアイデアを知ることが出来る。


最近のトレンドは「赤ちゃんが泣いたら、抱き癖など気にせず大いに抱っこしてあげて、ママの乳首を含ませてあげて下さい。」というもので、我が家もそうしている。


アメリカ人やフランスの友人などは、Babyが生まれた当初からBaby部屋を用意して、「個人として尊重して、泣いてもある程度放っておくことも必要」とのたまう。


で、自分もきっとそうなんだろう、と思っていた。


日本人の子供が公共の場でも、ぎゃーすかぴーすかウルサイのは、乳離れしておらず、親が甘いからだ、とマジで思っていた。


ただ、Babyの泣き声は、一昔前の駅の発車ベルよりも強烈で、この東京の狭い住環境で、

「放っておくことも必要」などと優雅にノタマウわけにはいかんのだ。


で、調べた。


我が家の結論は、前述の通り「思う存分抱っこしておっぱいをあげよう」というものだった。

大体Babyが泣いているのを放っておいて、それで抱き癖がつかないとか、独立心が芽生えるなんてのは大人のエゴの気がしてしょうがなくなってきたからだ。

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 っという間に前回ブログをUpしてから3週間が経ってしまった。 

俺は父親としてどうなのだ、

などと逡巡としている内に時が経って、妻は帝王切開を行い、

俺は自覚もへったくれもないまま「父親」になったのだった。



幸い個室が取れ、生まれ落ちたその日からママと息子は同室で退院まで過ごすことになったわけで、

俺はまるで雑誌の付録のように脇役として母子と一緒に泊まることが出来た。


結論から言おう。


男はこういう時どうしようもない。無力である。


生まれたその日から、母乳を与えるわけだが、妻は術後の痛々しい姿でベッドに横たわっている。

そのつらさを俺は想像すらすることが出来ずに、何の知識も無いのに、こうやって乳をあげたらどうだとか、それじゃBabyが飲めない、だとかほざいてしまい、そしてそのアドバイスが全く有効でないことに気づき愕然とし、放心するしなかったのだ。

妻の「一緒にいてくれるだけで嬉しい」という言葉に目頭が熱くなりながら、それでも40にして自分の圧倒的な無力さに立ちすくんでしまうわけだ。


とはいうものの、こうしてわが子を目の当たりにすると、素直に「ありがとう。ママとパパの子に生まれてきてくれて」という気持ちになる。


出来ることの全てをして君を育ててみせるからね。

ありがとう。ママとパパの所に来てくれて。