「甲陽軍鑑」の初版は京都から。
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の 高坂 美慧 です。しばらくお休みをいただいておりました。NHK大河ドラマ「べらぼう」の放送が終わり、来年からは「豊臣兄弟」が放送されます。「べらぼう」が放送されました今年のうちに「甲陽軍鑑」に関するこの記事だけは出しておかなければ・・・と本日配信することにしました。「甲陽軍鑑」とは信玄さんの時代を中心に武田家で起きた出来事に加え戦略・戦術などが記された軍学書であり、軍記物でもあります。作者は武田家の中では異例の大出世を遂げたと伝わる武田家四天王の一人、高坂弾正昌信公(春日虎綱公)と言われています。その高坂弾正昌信公の口伝を猿楽者の大蔵彦十郎と甥の春日惣次郎らが書き継ぎ、武田氏旧家臣の小幡昌盛、景盛親子の手に渡ることで成立を見ることになりました。出版後は、たちまち人気となり、歌舞伎・浄瑠璃・錦絵などにも幾度も取り上げられたほか、江戸時代の武家社会において礎の一つとなった書物です。さて、この、「甲陽軍鑑」ですが、本日のタイトルの通り、初版は小幡景盛公によるものでも、江戸からということでもなく、関係者の想定外のところで生み出されました。それが京都です。詳しくはこちらに記されています。どうぞご覧ください。vol.83 - 特集1 - | 印刷博物館ニュース | 印刷博物館 Printing Museum, Tokyo印刷博物館では、印刷の起源から最新の印刷技術まで、コミュニケーション・メディアとしての印刷の価値や可能性を紹介し、幅広い方々に印刷への理解と関心を深める活動をおこなっています。www.printing-museum.orgなお、この記事の後に「【異説】もうひとつの川中島合戦」異説もうひとつの川中島合戦: 紀州本「川中島合戦図屏風」の発見 (新書y 170)Amazon(アマゾン)を取り寄せて読みましたところ小姓の正体は、後に越後流軍学者となる宇佐美勝興公であることが記されていました。この著者によると、上杉謙信公の時代の四天王の一人に宇佐美定満という武将がいますが、その末裔である(自称)、として取り立てられたとの経緯があるようです。紀州藩徳川家に仕えた軍学者でした。「甲陽軍鑑」は世に出るまでの間に、数奇な運命を辿りますが、その度々に、越後の土地(佐渡を含む)や関連する人物のアシストが入っているということが興味深いところです