忘れかけていた。
忘れたいと思っていた。見て見ぬふりをしていた。

あげたらきりがない。
4月に親父が脳梗塞を発症。5月にリハビリ病院へ転院。右半身軽いマヒ、失語症、そして以前から懸念されていた認知症の悪化。

在宅か施設か。
遅くとも8月末には方向性を決めて動き始めなくてはならない。
施設。特養を申し込みながら有料老人ホームへの入居が賢明か。
中途半端な気持ちで在宅介護は出来ない。
かわいそう、やれるんじゃないか…
いろいろ出てくるはず。
有料老人ホーム。入居金はいくら。
月いくらまでなら払える。
お袋はやっていけるのか。
今までの経験、知恵を使ったとしても正解はないと思う。しかし時間は待ってくれない。
リハビリはある程度まで引き上げてもらえると思う。同時に認知症も加速していく。
10月いっぱいでリハビリ病院を出なければいけない。自宅と実家、病院へ行ったり来たりが続いている。
現在地である。
昨日の午前2時47分、現認。
愛犬チャンスが旅立ちました。我が家に来て10年、15歳でした。
今年に入って後ろ脚の衰え、認識が落ちていたことを感じていました。
オシッコをするにも脚を上げずにする。
ウンチをしたら力無くそのまま座り込んでしまう姿がありました。

先週の日曜日の夕方の散歩?ウンチをしたのが自ら歩いていった姿でした。
月曜から全く動けず馴染みのソファに寝たきりになってしまいました。週始めは柔らかい食事には、ほんの少し自ら食べて水分も器から飲んでいました。
排泄に関しては小さい頃からの習慣で外からするものとチャンスの様子見し、時間帯を考えて毎日2人介助して庭でしました。
週後半から、まず全く食べなくなり水分のみシリンジにて少量ずつ口元に運び数滴垂らしてペロペロしたら飲めるまで続けていました。食べていなくても木曜日には寝ながらにして排便がありました。肛門をマッサージしてやると出したい、出たいようにいきんでいるのがわかりました。
ソファの体勢もつらそうな時は下に下ろして横にしてやりました。
日曜日の夕方、水分も戻してしまう様子が見られ、呼吸が苦しそうな姿が続きました。
家族みんなを集めて、それぞれがチャンスへの思いをもって声をかけ、さすり一緒に時間を過ごしました。

俺の知る限りの最後の様子です。
午後9時過ぎに口呼吸で喉が渇いたろうとシリンジで水分をやりました。よくペロペロしました。30分もしないうちに胃液とともに全てを吐き出しました。
10時過ぎに振り絞った便が出ていて女房ときれいにしてやりました。10時半には俺らは寝てしまいました。寝ながら明日の介助への連絡調整をしてからでした。

灯りは夜、つけっぱなしでいました。

日付が変わった午前2時47分、俺がチャンスが亡くなっていることを確認しました。
すぐに女房を起こし伝えました。
最後の最後、シーツの上でオシッコ、ウンチが出ていました。泣き崩れる女房に声をかけてきれいにしてやりました。さっきまであたたかかった体も、すでに冷たくなっていました。

日曜日の夕方、家族みんなのいる前で俺はチャンスへ声をかけていました。

いままで、いっぱいいっぱいありがとうな。
もう頑張らなくていいよ。と

今も涙いっぱいで綴ることをためらいますが
我が家の家族のチャンスのことは伝えたかった…。

最後の最後にいてやれなくてごめんな。
こんな家に来てくれて、ありがとうな。

さよならは言わない。

感謝の気持ちを忘れずに生きていきます。

チャンスのことはずっと心の中で生き続けていきます。