ある文学者が「名も無き花」という表現を使ったところ、これに植物学者の牧野富太郎博士が噛みついたという話を聞いたことがある。「名も無き花などない。名も知らぬ花と言え。」と反発したという話だった。(出典不明)
牧野博士からすれば、文学者の無知を突いた、というところだろうが、これも変な話である。はたして花は自分の名前を知っているのだろうか。花の名前は人間が勝手に作った。花にとってはあずかり知らぬことである。
似たような話だが、「市民とはオレのことかと市民言い」という川柳がある。政治家たちが勝手に「市民を代表して」とか「市民の意向に沿って」とか言いふらす。しかし本当は政治家自身の権威付けや主張の正当性のため「市民」が利用されている場合がしばしばある。「市民」は怒っていいと思う。
牧野博士を政治家たちと同断に扱って申し訳ないが、どちらも自分の世界や立場のために、当の対象を無視していることには変わりはない。この光景は、悲劇のようにも喜劇のようにも見えるが、いずれにしろこの光景を生んでいるのは一種の傲慢である。
(ビュリダンのロバ)
