本日、首相の諮問機関「安保法制懇」から出された報告書。以下に、その核心中の核心である、結論部分を抜粋します(36-37ページ)。
集団的自衛権に賛成の方も、反対の方も、いま、何が行われようとしているのか、原典のテキストを一字一句読んでみてから議論なさるべきだと思います。
「集団的自衛権については、我が国と密接な関係にある外国に対して武力攻撃が行われ、その事態が我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるときには、我が国が直接攻撃されていない場合でも、その国の明示の要請又は同意を得て、必要最小限の実力を行使してこの攻撃の排除に参加し、国際の平和及び安全の維持・回復に貢献することができることとすべきである。そのような場合に該当するかについては、我が国への直接攻撃に結びつく蓋然性が高いか、日米同盟の信頼が著しく傷つきその抑止力が大きく損なわれ得るか、国際秩序そのものが大きく揺らぎ得るか、国民の生命や権利が著しく害されるか、その他我が国への深刻な影響が及び得るかといった諸点を政府が総合的に勘案しつつ、責任を持って判断すべきである。実際の行使に当たって第三国の領域を通過する場合には、我が国の方針としてその国の同意を得るものとすべきである。集団的自衛権を実際に行使するには、事前又は事後の国会承認を必要とすべきである。行使については、内閣総理大臣の主導の下、国家安全保障会議の議を経るべきであり、内閣として閣議決定により意思決定する必要があるが、集団的自衛権は権利であって義務ではないため、政策的判断の結果、行使しないことがあるのは当然である。」
つまり、こういうことです。この解釈のとおりなら自衛隊は、
・わが国以外の外国を助けるために戦ってよい
・「いずれわが国がやられる」と思ったら戦ってよい
・「アメリカの信頼が傷つく」と思ったら戦ってよい
・「国際秩序が揺らぐ」と思ったら戦ってよい
・「在留邦人の生命や権利が危ない」ときは救出に行く
・「わが国に深刻な影響が及ぶ」と思ったら戦ってよい
これだけでも驚きですが、報告書をつぶさに読むと、さらに踏み込んだことが書いてあります。
まず、自衛隊が戦う場所は、もはや国外のどこでもよくなります。たとえそれが外国領土であっても、「相手の要請か同意」があればよく、相手国政府が意思決定できないときはそれさえもいらないとあります。日本政府は、政策的判断によって、自由にどこにでも自衛隊を派兵できるのです。
たとえば朝鮮半島で動乱が発生した際は、在留邦人保護のために自衛隊が出動するのは無論のこと、「アメリカの信頼を損なわない」とか、「韓国が負けたら次は日本が危ない」という理由で、北朝鮮軍や中国軍と朝鮮半島で戦うことも「合憲」となります。
私自身は、第1次安倍政権の法制懇が言及したような、「駆け付け警護」だとか、「上空を通過するミサイル迎撃」などは、場合によっては必要となることもあると考えてきました。ただし、それらは「個別自衛権の行使」あるいは「法執行にともなう武器使用」でほぼ説明できると考えていたため、なぜ、安倍政権が集団的自衛権の行使容認に前向きなのかさっぱりわからないでいました。
しかし、この報告書を読んで納得しました。政権が考えていたのは、そういう小さなことではなかったようです。
この報告書は、どう読んでも「集団的自衛権の行使容認」というより、「海外派兵容認」です。解釈改憲ですらなく、憲法9条の「死文化」。
海外での武力行使について、賛成、反対、どちらの立場もあることは承知しています。それぞれに言い分もあります。先述したとおり、私自身も領域外での武力の行使(あるいは武器の使用)が必要となるケースはあると思っています。
しかし、憲法そのものを「死文化」させるような重要な決定を、ひとつの内閣の閣議決定でやって
いいものかどうかは、賛成派、反対派のどちらも考えるべきでしょう。
私は、もしそれが本当に必要なのであれば、堂々と憲法を改正してやるべきだと思います。「主権在民」も「基本的人権の尊重」も、内閣の解釈次第で意味するところが180度変わるようなら、この世は闇です。外敵の侵攻は大きな災難ですが、「民主主義」と「法の支配」を失うことはそれに匹敵する大災厄であることは、歴史の示す最大の教訓のひとつです。
報告書の中身は、これから内閣法制局での検討がなされ、やがて正式な閣議決定となります。いま、私たちはどんな橋を渡ろうとしているのか、全国民が考えるべきときに来ています。
集団的自衛権に賛成の方も、反対の方も、いま、何が行われようとしているのか、原典のテキストを一字一句読んでみてから議論なさるべきだと思います。
「集団的自衛権については、我が国と密接な関係にある外国に対して武力攻撃が行われ、その事態が我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるときには、我が国が直接攻撃されていない場合でも、その国の明示の要請又は同意を得て、必要最小限の実力を行使してこの攻撃の排除に参加し、国際の平和及び安全の維持・回復に貢献することができることとすべきである。そのような場合に該当するかについては、我が国への直接攻撃に結びつく蓋然性が高いか、日米同盟の信頼が著しく傷つきその抑止力が大きく損なわれ得るか、国際秩序そのものが大きく揺らぎ得るか、国民の生命や権利が著しく害されるか、その他我が国への深刻な影響が及び得るかといった諸点を政府が総合的に勘案しつつ、責任を持って判断すべきである。実際の行使に当たって第三国の領域を通過する場合には、我が国の方針としてその国の同意を得るものとすべきである。集団的自衛権を実際に行使するには、事前又は事後の国会承認を必要とすべきである。行使については、内閣総理大臣の主導の下、国家安全保障会議の議を経るべきであり、内閣として閣議決定により意思決定する必要があるが、集団的自衛権は権利であって義務ではないため、政策的判断の結果、行使しないことがあるのは当然である。」
つまり、こういうことです。この解釈のとおりなら自衛隊は、
・わが国以外の外国を助けるために戦ってよい
・「いずれわが国がやられる」と思ったら戦ってよい
・「アメリカの信頼が傷つく」と思ったら戦ってよい
・「国際秩序が揺らぐ」と思ったら戦ってよい
・「在留邦人の生命や権利が危ない」ときは救出に行く
・「わが国に深刻な影響が及ぶ」と思ったら戦ってよい
これだけでも驚きですが、報告書をつぶさに読むと、さらに踏み込んだことが書いてあります。
まず、自衛隊が戦う場所は、もはや国外のどこでもよくなります。たとえそれが外国領土であっても、「相手の要請か同意」があればよく、相手国政府が意思決定できないときはそれさえもいらないとあります。日本政府は、政策的判断によって、自由にどこにでも自衛隊を派兵できるのです。
たとえば朝鮮半島で動乱が発生した際は、在留邦人保護のために自衛隊が出動するのは無論のこと、「アメリカの信頼を損なわない」とか、「韓国が負けたら次は日本が危ない」という理由で、北朝鮮軍や中国軍と朝鮮半島で戦うことも「合憲」となります。
私自身は、第1次安倍政権の法制懇が言及したような、「駆け付け警護」だとか、「上空を通過するミサイル迎撃」などは、場合によっては必要となることもあると考えてきました。ただし、それらは「個別自衛権の行使」あるいは「法執行にともなう武器使用」でほぼ説明できると考えていたため、なぜ、安倍政権が集団的自衛権の行使容認に前向きなのかさっぱりわからないでいました。
しかし、この報告書を読んで納得しました。政権が考えていたのは、そういう小さなことではなかったようです。
この報告書は、どう読んでも「集団的自衛権の行使容認」というより、「海外派兵容認」です。解釈改憲ですらなく、憲法9条の「死文化」。
海外での武力行使について、賛成、反対、どちらの立場もあることは承知しています。それぞれに言い分もあります。先述したとおり、私自身も領域外での武力の行使(あるいは武器の使用)が必要となるケースはあると思っています。
しかし、憲法そのものを「死文化」させるような重要な決定を、ひとつの内閣の閣議決定でやって
いいものかどうかは、賛成派、反対派のどちらも考えるべきでしょう。
私は、もしそれが本当に必要なのであれば、堂々と憲法を改正してやるべきだと思います。「主権在民」も「基本的人権の尊重」も、内閣の解釈次第で意味するところが180度変わるようなら、この世は闇です。外敵の侵攻は大きな災難ですが、「民主主義」と「法の支配」を失うことはそれに匹敵する大災厄であることは、歴史の示す最大の教訓のひとつです。
報告書の中身は、これから内閣法制局での検討がなされ、やがて正式な閣議決定となります。いま、私たちはどんな橋を渡ろうとしているのか、全国民が考えるべきときに来ています。