萩市大字椿東にある高杉晋作草庵跡地顕彰碑です。
 この地は高杉晋作の草庵があった場所です。文久三年(1863)四月から約二カ月の間、高杉晋作は頭を剃り、自ら東行と称して隠棲しました。高杉は松陰の遺稿を読みながら時を過ごしていましたが、やがて藩主から召還され六月には奇兵隊を結成し活動を再開することになりました。


photo:01




iPhoneからの投稿
説明板
photo:01


19歳までいたんだねあせるあせる

間取り
photo:02



この場所からの眺めは最高[みんな:01]
photo:03


photo:04


ぽっこりした山のとこは萩城。


像
photo:05





隣は墓地。
photo:06


一部だけ撮影

久坂玄瑞
photo:07




高杉晋作
photo:08


下関になかったかな!?
ここには、遺髪とへその緒が埋葬みたい。



吉田松陰
photo:09


松陰死後百日目にあたる万延元年2月7日、杉家によって百日祭が営まれ親戚や門人が集まり、故人の霊を弔って遺髪を埋葬しました。
墓碑は百日祭より少し遅れて2月15日、久坂・高杉等の門人によって建立されました。松陰の遺言によって「松陰二十一回猛士墓」と刻まれています。
また墓前にも、門人たちによって石灯篭、花立て、水溜めが寄進されています。17人の名前が公然と刻まれていて、各人の決意の程が察せられます。刻まれている名前は以下の通りです。
水溜め:松浦無窮(松洞)、増野乾(徳民)、品川日孜(弥二郎)
花立て:伊藤和卿(博文)、入江致(九一)、野村旨綏(靖)
灯篭右:久保久清(清太郎)、佐世(前原)一誠、久坂誠(玄瑞)、岡部利済(富太郎)、福原利實(又四郎)
灯篭左:中谷実之(正亮)、有吉良明(熊太郎)、作間昌昭(寺島忠三郎)、天野一寛(渡辺蒿三)、高杉春風(晋作)、時山済(直八)




門下生
photo:10





iPhoneからの投稿