三題噺 夢の中・水中・描く 2024-02-11

 

 

 不思議な夢もあるものだ、と僕は思った。

 そこは白い廊下だった。真っ白な壁が左右に立ち、ひたすら真っすぐ続いている。扉や灯りは見当たらない。真っ白で眩しい空間だ。

 僕は廊下の真ん中に立っている。振り返ると、後ろにも白い廊下が続いている。果ては見えない。どこまでも続いているんだろう。そう思いながら適当に歩いていく。

 

 そこが夢の中だと気づいたのは、壁に掲げてある絵を観たときのことだった。それはまた写真のようにも観えた。高い木が映っている写真、桜の落ち葉が散らばった路地裏の絵、知らない女の子が誰もいない音楽室でピアノを弾いている画像。よくよく観ると、どれも僕の記憶の中にある眺めだった。

 どうしてこんな夢を観ているのだろう。まるで他人事のように考え込んでみる。自分自身の姿を上から見下ろすように。やがて僕は僕が彼女の家で眠っていることを思い出した。彼女、というのは昨晩出会った女のことだ。過程はよく覚えていない。酒は呑んでいたのだろうか。0時を超えて彼女の家に訪ね、そのまま同じベッドで眠ったことを覚えている。

 

 目覚めようと思えばすぐにでも起きられる気がする。けれど起きようと思う気にはならない。僕はゆっくり廊下を歩きつつ、壁に掲げてある絵をじっくり観察してみる。どれも見覚えがあるものばかりだった。小学校の頃の下校道、初めて酒を飲んだ大学二年生の日、野良猫を見かけて笑う中学生の少女。順番はでたらめだが、色んな光景が額の中に占められている。

 

 そのうち僕は水中に沈んでいくようになった。本当に水の底へ沈んでいくわけではない。そういう気がするということだけだ。歩こうと思わんくとも勝手に足が動き、目は次から次へ額の絵を映していく。あるいはその逆かもしれない。動くのは僕ではなく廊下のほうで、空港のエスカレーターのように低速で滑りながら絵を見せつけてくる。とても心地の良い感覚だ。海の下で眠る魚の気分とはこういうものなのだろうか、と泳げない僕は思い出す。

 

 ふと、流れが止まる。右側の壁を向くと、目の前に一枚の紙が貼られていた。真っ白な壁だ。反対側の壁には中学の部活で作ったポスターが額に占められている。いつの間にか、僕の右手には黒いフェルトペンが握られていた。なんとなく蓋を開けてみると、本来あるはずのインクの匂いが、なぜか匂ってこない。

 

 僕はいまだ沈んでいく最中だった。ペンを握った手を持ち上げ、目の前の白い影に何かを描きだしていく。紙を横切るフェルトペンが鳴らす嫌な音が、水の泡に溶けて音もなく消えてゆく。

 目を覚ましたとき、僕は自分が何を描いたのか、すっかり忘れてしまった。ペンを動かす指先の感触だけが、鮮やかに残っていた。