2022年5月11日、お笑い芸人の上島竜兵さんが亡くなった。

ニュース報道を見る限り、自殺とみられている。

 

最初にこの報道を見た時の僕のリアクションは「マジか」だった。

驚いた。「自殺」という言葉と彼に対してのイメージが全く結び付かなかった。

 

ダチョウ倶楽部をどの番組を見て知ったのかは覚えていない。物心ついた時にはすでにバラエティでよく見る芸人さんで、「喧嘩した後のキス」「どうぞどうぞ」「くるりんぱ」といった定番ネタのテンプレートをたくさん持っている人たち、という印象だった。

熱湯風呂や熱々おでんなど、体を張る芸を多くやっていたところから、自分のイメージする「芸人」は気づけば彼らだったように思う。

彼らの全盛期を知っているわけでもなければ、彼らの出演する番組を意識的に追っていたというわけではない。

だが、その「芸人」としての存在感や、定番ネタとして人口に膾炙していた彼らの芸は、他の芸人たちと一線を画すものがあったように思う。

少なくとも、「漫才師」や「コント師」とは違う、「お笑い芸人」としては最も最初に思いつく存在であった。

 

近年は三浦春馬や神田沙也加など、俳優や女優にそこまで精通していない自分でも名前は知っているような芸能人の自殺報道が多くあり、そうした報道がなされるたびに驚いた。

そうした報道を耳にするたびに、もちろん人並みに驚きや悲しみを抱きはしていたが、今回の報道では、それをはるかに上回る悲しみと驚き、そして悔しさを覚えた。

 

その一つの要因が、報道を受けたのちにケツメイシの「友よ〜この先もずっと」のMVを見たことによる。

MVでは、ダチョウ倶楽部の3人が、彼らの定番ネタである熱々おでんや熱湯風呂を披露、そしてところどころで3人の昔の写真が表示される。

恥ずかしながら自分はこれまでにこのMVを見たことがなく、今回の報道を受けて初めて目にした。

そして見終わる頃には、溢れる涙を抑えきれなかった。

 

上島さんの自殺の要因は定かではないが、一説には彼の真面目な性格のほか、近年のコロナ禍の影響やテレビのコンプライアンス強化によって彼らのネタを披露しにくくなっていたことや、他の芸人たちとの飲み会などができなくなってしまっていたことが囁かれている。

彼らにとっての居場所が失われつつあったことが一因であったのだろう。

こうした情報をあらかじめ見た上で先述のMVを見ると、彼が生き生きと芸を披露している姿がなんとも悲しく、彼の人生における「生き様」である芸を奪われてしまったことは本当に悔しかっただろうと思った。

 

この悔しさはきっと、彼だけのものではない。コロナ禍によって、多くの人が彼と同様に大事なものを奪われてしまった。

そして、彼にとって定番の芸が大事だったのと同じくらい、彼らの芸はそれほど彼らを追っていない僕のような人間にも、気づいたら浸透し、大事なものとなっていた。

 

志村けんが新型コロナウイルスによって亡くなった際ももちろん悲しかった。

だが、思わず涙してしまったのは今回の上島さんの件が僕にとっては初めてだった。

 

きっとそれは、彼が亡くなる間際まで抱いていたであろう悔しさと無力感への共感、現状の環境によって自分達の心の深い部分に浸透していた上島さんの芸が失われてしまったこととが混ざり合ったことによる涙であったのだと思う。

 

こうした悔しさは、コロナやコンプライアンスによるものだけではない。

誰もが、自分ではどうしようもない「何か」によって苦しめられている現状がある。

そうした人々を救うためにはどうすればよいのか。

改めて考えさせられ、自分にとっては忘れられない出来事となった。上島さんのご冥福をお祈りしたい。