今回は、寝たきりの次男と父から学んだことをお話させていただきます。
次男はまったく意識がなく、注射針を刺してもぴくりともしませんでした。
父は、声をかけると目が合いますし、わずかに発語はありますが、会話はできません。
よく「大変な思いをされましたね」と、言っていただくのですが、
自分ではそんなに大変だとは思っていないので、
そう言われてしまうと申し訳ないような気持ちになります。。。
大変だと思うよりも、貴重な経験をさせてもらったな、と思います。
次男には、好きだった音楽をきかせてあげても、手足や顔をさわってあげても、
「どんな気持ちなのか」「嬉しいのか、怒っているのか」
最初はぜんぜんわかりませんでした。
だけど、五感を研ぎ澄まして次男の様子を見ていると、
ごくわずかな頬や口元のゆるみ、指先のふるえや気配など、
小さなサインが出ていることがわかりました。
「そんなのは、自分が勝手に感じているサインで、ただの自己満足なのかな」と、
思っていたのですが、次男のお世話をしてくださる施設の方や学校の先生が
同じことを言われるので、やっぱり意識のないように見えても、
ちゃんと何かを感じているのは間違いないのだと思います。
話は逸れますが、今流行りの「鬼滅の刃」で、
登場人物が「怒っている匂いがする」とか
「泣きたくなるようなやさしい音がする」とか言うのですが、
思わず「あっっ!!それ、すごくわかる!!」と思いました。(^_^
漫画といえども、とてもクオリティーの高い作品ですね。
寝たきりになった次男に気持ちを寄せることで、
言葉や表情以外にも、汲み取れるものがあると気が付きました。
私は、人の気持ちを考えてものを言うことがずっと苦手で、
自分では気が付かずに、人を不快にさせる発言をして、落ち込むこともよくありました。
今でもありますが、少しはましになったのは、寝たきりの家族と接した経験のおかげです。
ありきたりな言葉ですが、一人の命の尊さを教えてもらえたと思っています。
寝たきりの人のお世話は大変です。
自分で自分のことができなくなったら「何のために生きているのか」と、思うこともあります。
治療法のない難病で、痛みや苦しみから、自ら死を選ぶ人も、います。
それでも、命の価値を簡単に決めるべきではないと思います。
またまた重たい話になってしまいましたが、
今年も新型コロナの影響で厳しい状況が続いています。
しっかりと五感を研ぎ澄まして、命と向き合うことを、改めて考えていければと思います。
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