雨の朝
窓の外には
女の赤い靴の音
カツカツと
遠慮もなしに
コンクリートを踏んでいく
ふと
気まぐれに生まれた地面の隙間に
ハイヒールが囚われる
女はそれに気づかずに
片方は裸足になったまま
雨の中を歩いていく
残された靴を
誰かが
地面から抜こうとしている
傘もさせずに
びしょ濡れになりながら
萩原朔太郎を読んでいると、この人は本当に孤独で憂鬱な人生を送ったんだろうな、と感じる。孤独の中にあっても、天上の世界に救いを求めることなく、現実から遊離して耽美な世界に溶け込むでもなく、孤独を孤独として、人生を人生として誠実に見つめ続けることで、切り開かれたのがあの世界、地面の底にさみしい病人の顔があらはれて、病気の犬が月に吠える、あの世界なのだろうか。
詩はわかりづらい。そのわかりづらさは、詩という形式に由来するのではなく、人間の感情の複雑さに由来するのだろう。嬉しいとか、悲しいという、一般的な言葉に抽象化されて堕落してしまう前の、生々しい感情との短絡こそが、詩の醍醐味なのだと思う。
詩はわかりづらい。そのわかりづらさは、詩という形式に由来するのではなく、人間の感情の複雑さに由来するのだろう。嬉しいとか、悲しいという、一般的な言葉に抽象化されて堕落してしまう前の、生々しい感情との短絡こそが、詩の醍醐味なのだと思う。
遅れてきた高ニ病なのか、萩原朔太郎を読みふけっている。昔は、朔太郎の病的な暗さを、心が受け付けなかった。しかし、今読み返すと、すんなり読める。恐らく、歳をとることで、明るいとか暗いとかいう区別が意味をなさなくなったのだと思う。さて、序論に興味深いことばがある。曰く、言葉では感情を完全には伝えられない。感情を完全に伝えられるのは、詩と音楽のみである。自分の感情を、嬉しいとか、悲しいというような、一般的な言葉にしてしまうと、感情も一般的なものに成り下がる。僕のうれしいは、みんなのうれしいになる。そうやって、陳腐化してしまう前の、きわめて個人的な感情を、そのままの形で掴みだしたのが、詩になる。嬉しいや、悲しいになる前の、心の震えである。それは、社会においては必要のないものだ。自分の喜びは、他人の喜びと同じ性質のものであり、会社の喜びととも同じである。個々人の感情を、食べることで、社会は膨らんでいく。自分の生の感情を、むき出しにすべき相手など、そう多くはいない。しかし、数は少なくとも、生の感情をぶつけ合うべき人は、必ず存在する。そのときのために、自分自身の詩や音楽を(もちろん、形式の意味ではない)磨き続けることが必要だ。詩人や音楽家は、私的な感情を全世界に表明しなければならないという、過酷な運命を背負わされた。僕らはもっと気軽に生きていける。
技術の向上を一番の目的としなければならない、という、空虚なプロフェッショナリズムのために、いつも音楽と対座していた。自分自身が音楽の内部に潜り込むことも、音楽が自分自身の内部に溶けていくことも、全く無かったように思う。集団が同じ方向を向くためには、思想の統一や、感情の画一化が不可欠である。そのために、一個人として、真摯に音楽に向き合うことは、なかった。ただし、自分の生まれ持った声に関しては、嫌というほど向き合った。それは、音楽的な価値を全く生まず、渇望だけを植え付けた。不完全な声と向き合ったことは、今思えば、青春の不完全さと向き合ったことと同じである。音楽にかけた青春は人生の一部分に閉じているが、音楽は人生に対して開けている。これからは、そして今までも本当は、技術や表現ではなく、生への考え方を問われている。求められるのは徹底したアマチュアリズムだ。
阿部公房の壁。世界の果てに関する講演がある。まだ、世界が円形だと信じられていたころ、世界の果ては円周に存在していた。しかし、世界が球体となることで、世界の果ては一点に凝縮される。それは、いま自分がいる場所、自分の部屋である。だから、壁は世界の果てを仕切る水平線となる。水平線の向こう側に閉じ込められた人間。なんと孤独な姿だろうか。どこか、遠くへ逃げることは許されない。遠くへ行くことは、自分自身へと近づくことである。昔のように、世界の中心である自分を、世界の果てから切り離すことはできない。世界の孤独を一身に背負うことの寂しさと、万人に共通する中心点を持てないことの寂しさ。
(1)風見鶏
なんでも知っている、なんでも見ている風見鶏。しかし、実は耳なし目なし。なんにも見えず、なんにもきこえていなかった。そして、風はそのことを知らないままに耳うちしていた。風見鶏の哀れさとともに、風の残酷さも印象的。「ぎっつ ぎたん るー」という、最初はおどけて聞こえた擬音語が、いつまでも不気味に鳴り響いている。
(2)ほら貝の笛
海や人から忘れられ、さらに自分自身からも忘れられた、ほら貝。自分の声を取り戻したと思ったら、単にそれはコオロギの鳴き声だった。自分自身の声などというものは、ほとんどの人が持っていない。気に入ったコオロギを集めては、鳴かせているだけである。ほら貝がほら貝になれないように、人間はいつまでたっても人間になれない。
(3)やじろべえ
やじろべえのこどものこども、そのまたこどももやじろべえ。賑やかそうな光景だと思いきや、やじろべえはおらず、影ばかり。影が影を生み、いつまでも実体が存在しない。間接的にしか、存在を許されない。はかない影が、虚しい営みを、いつまでもいつまでも繰り返す。
(4)砂時計
落ちた「時」は見えなくなってしまったか。たくさんのあの時は、もういなくなってしまったか。いや、落ちた「時」は、銀色の魚になって、夜の海を泳いでいる。その魚を、だれも釣れない。しかし、間違いなくこれは救いであろう。優しい詩だ。
(5)どんぐりのコマ
小さなどんぐりが、どんどん飛び出していき、くるくるまわる。それは、風に翻弄される哀れな風見鶏の姿とも、むなしい影の生産を繰り返すやじろべえの姿とも、明らかに違う。溢れる生の力。自発的に世界の中心となる運動。ここに至り、はじめて希望が見出される。
---
三善晃の前書きによると、人間と地球全体をくるむ愛を歌う、というテーマの詩ではあるが、「フィクシシャスな寓意をはさみこむ」という注文が、破滅や絶望失意の相をもたらした。それらを胎生の糧としない愛を信ずることができない、というのが三善晃の重要なテーゼである。
なんでも知っている、なんでも見ている風見鶏。しかし、実は耳なし目なし。なんにも見えず、なんにもきこえていなかった。そして、風はそのことを知らないままに耳うちしていた。風見鶏の哀れさとともに、風の残酷さも印象的。「ぎっつ ぎたん るー」という、最初はおどけて聞こえた擬音語が、いつまでも不気味に鳴り響いている。
(2)ほら貝の笛
海や人から忘れられ、さらに自分自身からも忘れられた、ほら貝。自分の声を取り戻したと思ったら、単にそれはコオロギの鳴き声だった。自分自身の声などというものは、ほとんどの人が持っていない。気に入ったコオロギを集めては、鳴かせているだけである。ほら貝がほら貝になれないように、人間はいつまでたっても人間になれない。
(3)やじろべえ
やじろべえのこどものこども、そのまたこどももやじろべえ。賑やかそうな光景だと思いきや、やじろべえはおらず、影ばかり。影が影を生み、いつまでも実体が存在しない。間接的にしか、存在を許されない。はかない影が、虚しい営みを、いつまでもいつまでも繰り返す。
(4)砂時計
落ちた「時」は見えなくなってしまったか。たくさんのあの時は、もういなくなってしまったか。いや、落ちた「時」は、銀色の魚になって、夜の海を泳いでいる。その魚を、だれも釣れない。しかし、間違いなくこれは救いであろう。優しい詩だ。
(5)どんぐりのコマ
小さなどんぐりが、どんどん飛び出していき、くるくるまわる。それは、風に翻弄される哀れな風見鶏の姿とも、むなしい影の生産を繰り返すやじろべえの姿とも、明らかに違う。溢れる生の力。自発的に世界の中心となる運動。ここに至り、はじめて希望が見出される。
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三善晃の前書きによると、人間と地球全体をくるむ愛を歌う、というテーマの詩ではあるが、「フィクシシャスな寓意をはさみこむ」という注文が、破滅や絶望失意の相をもたらした。それらを胎生の糧としない愛を信ずることができない、というのが三善晃の重要なテーゼである。
"The true genius is a mind of large general powers, accidentally determined to some particular direction."
Do I try to acquire general intelligence ?
Do I try to acquire general intelligence ?
"Without music, life would be a mistake."
What does this mean ?
I can't understand.
But I feel it is truth.
My life was not mistake but is mistake.
What does this mean ?
I can't understand.
But I feel it is truth.
My life was not mistake but is mistake.
I heard that Haruki Murakami had been writing something every day. So I decide to write like him. It's not to say that I want to be a writer. But I want to be a mediocre person who can express myself banally.
The best way to learn programming language is to write it. I learned some programming languages and I realized this words were truth. I have written a lot of foolish code. Because of this, I can write better code now. But there is one problem. Nothing compiles my English. In programming, no grammatical mistake is allowed. We confront countless syntax error and have to fix many bugs in tears. Perhaps there are many syntax errors in this sentence too. But I don't have to see any error massage. I'm free. I'm swimming in the sea of freedom.
The best way to learn programming language is to write it. I learned some programming languages and I realized this words were truth. I have written a lot of foolish code. Because of this, I can write better code now. But there is one problem. Nothing compiles my English. In programming, no grammatical mistake is allowed. We confront countless syntax error and have to fix many bugs in tears. Perhaps there are many syntax errors in this sentence too. But I don't have to see any error massage. I'm free. I'm swimming in the sea of freedom.
毎日ゆっくり本を読めたら幸せだと、
昔は思っていた。
しかし、人の書いたものを有難がって読むことが
自分の幸せというのはおかしいのだろうか。
しかし、自分がものを書くことが幸せとも
思えない。自分が何かを発信できなければ
幸せになれないというのも困る。
人が書いたものを読み、あたかも自分が素晴らしい存在に
なったように高揚する。
それはやはり幸せだろうか。
----
暇をもてあまし、さあ、何かを思索しようと思っても、
カラッポだ。問題意識など何も無い。
問題がないのなら考えなければ良い。
しかし、思考を止めれば、より動物的に生きるしかない。
----
自分を書き表して下さい。
そう言って、一枚の紙を渡された。
みな、戸惑うばかり。
自分の肩書きを書き連ねる人がいた。
しかし、そこに書かれた学校名や会社名は、
自分が存在しなくても、勝手にあるものだ。
好きなものを書き連ねる人がいた。
それは、他の誰かも好きなものだった。
友達を書き連ねる人がいた。
そこには、自分以外の名前が書かれるだけだった。
好きなウイスキーの銘柄や、昔好きだった人の名前や、
昨日の愚痴を書いた人がいた。
それに目を留める人は一人もいなかった。
でも、それだけが自分だった。
----
数Ⅲでは無限について学びます。
数学が生きるために何の役に立つのか。
これは無限に問われている質問です。
生活は有限です。限られた時間、限られた場所、
限られた能力、限られた人間関係の中で終わります。
あの目に見える星の、1億倍遠い場所に
何があるかは、生きるために必要がありません。
この手を1兆倍拡大したときに、何が見えるかは
生きるためには必要ありません。
1億年後の世界や、1億年前の世界を想像する事も、
必要ありません。
でも、色んな人が必死に考えてきました。
何か理由が思い当たりますか?
----
本当に何も無い。
昔は思っていた。
しかし、人の書いたものを有難がって読むことが
自分の幸せというのはおかしいのだろうか。
しかし、自分がものを書くことが幸せとも
思えない。自分が何かを発信できなければ
幸せになれないというのも困る。
人が書いたものを読み、あたかも自分が素晴らしい存在に
なったように高揚する。
それはやはり幸せだろうか。
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暇をもてあまし、さあ、何かを思索しようと思っても、
カラッポだ。問題意識など何も無い。
問題がないのなら考えなければ良い。
しかし、思考を止めれば、より動物的に生きるしかない。
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自分を書き表して下さい。
そう言って、一枚の紙を渡された。
みな、戸惑うばかり。
自分の肩書きを書き連ねる人がいた。
しかし、そこに書かれた学校名や会社名は、
自分が存在しなくても、勝手にあるものだ。
好きなものを書き連ねる人がいた。
それは、他の誰かも好きなものだった。
友達を書き連ねる人がいた。
そこには、自分以外の名前が書かれるだけだった。
好きなウイスキーの銘柄や、昔好きだった人の名前や、
昨日の愚痴を書いた人がいた。
それに目を留める人は一人もいなかった。
でも、それだけが自分だった。
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数Ⅲでは無限について学びます。
数学が生きるために何の役に立つのか。
これは無限に問われている質問です。
生活は有限です。限られた時間、限られた場所、
限られた能力、限られた人間関係の中で終わります。
あの目に見える星の、1億倍遠い場所に
何があるかは、生きるために必要がありません。
この手を1兆倍拡大したときに、何が見えるかは
生きるためには必要ありません。
1億年後の世界や、1億年前の世界を想像する事も、
必要ありません。
でも、色んな人が必死に考えてきました。
何か理由が思い当たりますか?
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本当に何も無い。
