●考え方次第、人生の楽しみ

41節【至るところに楽しみ】

人は誰でも大慈大悲の仏心をもっている。維摩居士(ユイマコシ・架空の人物で、

在家のまま菩薩道を行じたという。この維摩居士を中心として戯曲大乗仏教の根本思想を

説いたものが維摩経三巻です)のような立派な人物であろうと、

屠殺人のような卑しい人間であろうと、その点は変わりない。

この地上には、至るところに人生の楽しみがある。

立派な邸宅に住もうと粗末なあばら家に住もうと、その点では、

まったく変わりはない。

ただ、欲情や感情に心をくらまされて、

すぐ近くにあるものがみえなくなってしまうのだ。


「隣の芝生はきれいに見える」ではないが、本当は自分の身近にいる知人や親友、時として喧嘩のするが、一番自分のことを気にかけていてくれるのである。(親は言うに及ばずであろう)
だが、それ以外の他人(関わりの少ない方)に対しても、慈悲の心をもって接することができれば、人生は自分が見えないところでも、ある日突然素晴らしい贈り物をくれるでしょう。