ナックは、自治体の安全管理システムを構築していたエンジニアだ。いま、彼は過去の自分の仕事を振り返りながら、ある種の恐怖を語る。「監視されている、見られている……それなのに人は死んでいくんだ」と。
その言葉は誇張ではない。ナックの見た可視化社会は、危険を減らすどころか、むしろ事故や死を“誘発する構造”を作り出していた。
光が強くなればなるほど、影も濃くなる。
可視化が進めば進むほど、人々は自分の感覚を捨て、盲目になっていった。
1. 光に照らされた安心の中で、人は死角を忘れる
ナックが担当していた自治体では、監視カメラ、交通センサー、SNS解析など、あらゆる情報が巨大なダッシュボードに統合されていた。市長は満足げに言った。「これで安心だ」。
数字が低ければ安全、閾値を超えれば危険──そんな単純化された世界を役所は信じ始めた。
だがナックは気づいていた。
「数字が安全を保証した瞬間、人間は“見ること”をやめる」と。
住民たちはもう危険を想像しなかった。画面が静かなら、それでいい。
“見えているから安心”という錯覚が、社会全体に蔓延していった。
2. 監視カメラの下で事故が増えるという矛盾
ある夜、職員がナックに言った。
「カメラもセンサーも動いているのに、事故が減らないんです」
当然だ、とナックは思った。
住民たちは、カメラが“守ってくれる”と信じていた。
老人がノールックで横断歩道を渡り、学生がスマホを見ながら自転車を走らせる。
「何かあればシステムが検知する」
そんな無意識の過信が、危険を増幅していた。
可視化は“過去の事実”を映すだけだ。未来を予知などしない。
しかし、人間はその限界を理解しようとはしなかった。
ナックは言う。
「監視があると、人は警戒をやめる。そこにこそ恐怖が潜んでいるんだ」
3. “見えていないものを考える力”が消えていく
可視化の最大の罠は、“見えない危険”を想像できなくなることだ。
本当のリスクは常に、データの外側にある。
・センサーが拾わない微細な変化
・カメラの死角
・ログに残らない不穏な気配
・直観でしか分からない異常
・データが“正常”の時ほど起きる事故
ナックの経験上、ダッシュボードが「異常なし」と表示されている時こそ、現場には不自然な静けさが漂っていたという。
だが職員も住民も、その“静けさ”を読み取る能力を失っていた。
政治の側も、可視化を止めようとはしなかった。
「データがあるほど、やってる感を出せるからですよ」
と、ある幹部が笑って言ったこともあった。
ナックはその笑顔を忘れられない。
4. 人間の勘は、数字によって殺される
ナックが最も危惧するのは、人間の感覚そのものが退化していく現象だ。
本来、人間は
・足音
・視線
・空気の変化
・話し方
・沈黙
といった微細な情報から、危険を読み取る能力を持っている。
だがデータ信仰社会は、その能力を「非科学的」「あてにならない」と切り捨てる。
その結果、数字が正常なら、誰も危険を疑わない。
数字が示さないことは、存在しないことになる。
ナックは言う。
「可視化の光は、最初に“人間の目”を焼き殺すんだよ」
5. ナックの結論──“見られている国ほど、死にやすい”
ナックは退職後、全国の自治体を眺めながら、静かに語る。
「可視化社会は、安心できるように見えて、実は“思考しない人間”を大量に生むんだ」
そして、彼が繰り返す言葉がある。
「見られている国ほど、人は死にやすい。
なぜなら、人間が自分で危険を察する力を失うからだ。
安全のための可視化が、人間の生存本能を腐らせてしまうんだよ」
監視の光が強くなるほど、人間は自分の感覚を信じなくなる。
安全のために導入されたはずのシステムが、いつの間にか“安全神話”を生み、その神話が人を死へと追いやる。
見られているから安心──その時点で、もう危険は始まっている。
ナックの語る可視化社会の闇は、私たちのすぐ足元にある。
株式会社ナック 西山美術館
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