場所は変わって幼稚園。
え?行ってきますのチュー?
そりゃしたわ。
当然のように要求あってしたわ。
子どもらに見られながらの頬チューはなかなかにスリリングだったわ。
お前ら外で言うなよって散々言ったけど、分かってんのかな。
社会的死っていう恐ろしさ。
因みに和は俺の顔見て口角片方上げて鼻で笑ってたけどあれ何だったんだろうか、怖い。
「おはようござ…あ!大野さん!」
ニコニコ駆け寄ってきたのは担任の先生。
えーと、ああ、小瀧。
「望先生、おはようございます~」
名前呼び?!
いやまぁ名札には『のぞむせんせい』だから普通…か?
普通なのか??
「あ…櫻井さんも。」
なんだその、お前もいんのかよ~みたいな顔は!!
むしろ俺が正式な保護者だ!!
「おはようございます。先週はご挨拶も中途半端にすみませんでした。」
「あ、いえいえ!元から朝は櫻井さんおりませんでしたし、なぁ~んも問題ないっスよ!」
くっ…嫌味をいい笑顔で…
「それに大野さんと一緒に来て、帰りも早く迎えに来てもらえるってことで和くんと潤くんと更に雅紀くんもほんまに嬉しそうにしとったんで、逆に櫻井さんじゃなくなって良かったですわ。」
無駄に爽やかな笑顔でお役御免宣言すんじゃねぇ!!
「なるべく毎朝大野さんと来ますね。」
「あはは、大丈夫ですよ~。大野さんしっかりしてはるし、櫻井さんもお仕事大変やろし朝からバタバタされてると思うんで…ねぇ大野さん?」
「え?まぁ…お仕事は心配ですけど、おいら的には櫻井さんも一緒に来れる方が嬉しいですよ。」
いよっしゃあああああああ
ざまああああああああああ
「チッ」
っておい、舌打ちしたな?!
したよなこの関西弁長身保育士?!?
「…そうですか。では帰りのお迎え、お待ちしてますね大野さん!」
「んふふ、はあい。」
くっ…帰りは俺が来れないの分かっててコノヤロウ…
「翔ちゃん。」
「ん?」
こそっと和が裾を引っ張るから、しゃがんで耳を傾ける。
小瀧は大野さんとの談笑に夢中で、潤と雅紀は園庭で遊んでいる。
「のぞむせんせい、智にコイビトがいるかボクにきいてたよ。」
「えっ?!?」
「知らないっていっといた。」
何で???
ま、まさか……
「小瀧先生…大野さん狙ってんの?」
って俺、5歳児に何聞いてんだ俺は。
「うん。でもほんきじゃなくて、アワヨクバって感じかな。」
そして5歳児の返答すごい具体的だな??
助かりますけど!
「…園での大野さんの警備、頼んだぞ…」
「智はぼさっとしてるから、、翔ちゃんもなるべくはやおきしてよね。ボク5歳なんだから、カドのキタイはこまりますからね?」
はい…
過度の期待してないで自分で行動しろということですね…
ごもっとも、おっしゃる通りです。
「了解しました、善処します…。」
『善処します…!』
「善処しますじゃ困るんですよ。デッドラインから逆算して来週じゃどう考えても間に合いませんよね?うちがコンペ落としたら困るのはお互い様でしょう?
他の企業さんだってたくさん声掛けて頂いているんですよ。貴社とは専属契約している訳では無いので別に他社様にお願いしてもいいんです。幸い、納期には自信があるとアピールしてくれている所があるので。うちとしては金額かかってもそのような約束してくださる方が助かります。」
『そ、そんな、櫻井さん…!』
「だけど。貴社ならその約束を守り、更には素晴らしく独創的で前衛的な曲を送ってくださると信じているのでお願いしてるんです。どうしても貴社が良いと言ったのは紛れもなく私共の方ですから。
去年CM大賞を受賞したのも貴社の耳に残るメロディと心に響く歌声、そして弊社のキャッチコピーと企画が絶妙にマッチした結果だと思います。だから、今回こそ取りましょう。最優秀賞を!!我々なら、いえ、我々にしかできない仕事をしましょう!!」
『…わかりました。必ず週末までに仕上げます!』
「ありがとうございます!よろしくお願い致します!」
ガチャリと受話器を置くと、やれやれとため息が漏れる。
「くくく…櫻井、お前の口は本当によく回るな。おかげで助かった、悪いな!」
ニヤニヤ細い目を更に細めて後ろでコーヒー片手に聞いていたのは、先日俺を散々からかった井ノ原さんだ。
元同じ課の先輩。
「井ノ原さーん、なんでもニコニコ受けないでくださいよ!期限だけはきっちり守らせないと!」
「いや~悪い悪い、俺頼まれると弱くってさぁ~(笑)お前がいてよかったわ~!」
ケラケラ笑いながら立ち去る脳天気なその人は、今は営業部の課長。
他社との窓口はあちらだから、尻拭いをいつもさせられる。
まぁ…あの人の良さで契約金額を大幅に抑えられてるんだから仕方ないのかもしれないけど。
──お前がいて良かった、か。
そう聞いて浮かぶのは大野さんだ。
井ノ原さんの尻拭いを俺が、俺の尻拭いを大野さんがしているわけで…。
帰りに詫びのつもりでケーキでも買って帰るかな、なんて考える。
…そういや、大野さんて何が好きなんだろ。
何も知らないんだな、俺。
まぁ出会って1週間も経ってないから、仕方ないのかもしれないけど。
井ノ原さんが居なくなると、すぐにローラー付きの椅子で部下の千賀が近寄ってきた。
「流石っスね!よ!鬼の櫻井課長!」
「うるせぇ。誰が鬼だ。」
「いや~20代で課長になったの櫻井さんが史上初ですからね。その時点で鬼なのに更にまた鬼ですよ。相手、ノセられたけど電話切ってから後悔して泣いてそうっすね(笑)」
「ふん。仕事はいいけどノロいんだよあそこは。質を落とすか、時間を諦めるか…俺なら質を落とさず時間も諦めねぇことを選ぶ、そんだけだよ。」
「くぅ~っカッコイイっす!流石櫻井さん!」
突然前のデスクから立ち上がって顔を覗かせたのは、千賀の同期の藤ヶ谷だ。
「あ、、すみません突然。でもどっちも諦めないその姿勢と努力、マジで尊敬します。俺、櫻井さんの下につけて幸せです!」
藤ヶ谷は90度に腰を曲げる。
千賀も「俺もです!」とニコニコ手を挙げる。
尊敬…。
俺の結婚相手に挙げている条件。
…大野さんて、結婚願望とかあんのかな。
子ども好きだって言ってたけど。
つーか色んな男に狙われてっけど、色々大丈夫なのか?
あんな、ふにゃふにゃの無防備な笑顔振りまいて…
ストーカーの件も片付いてねぇのに学校行ってるし…
ああもう、何であの人あんな危機感ねぇんだよ!
19年間どうやって生きてきたんだ?!
「あ、櫻井さん!ファンの方が手振ってますよ。相変わらずモテますね(笑)」
藤ヶ谷に言われ見ると、遠目から俺のファンクラブの女性社員達が「キャー♡」と騒いでいる。
何でもいいけど仕事しろ。
「俺も入ろっかなー、櫻井さんのファンクラブ!」
「馬鹿、やめろ(笑)」
そう。
俺は男からも女からも憧れられる男。
上司からも同僚からも一目置かれる存在。
なのに…
なのに……
「何でよりによって未成年の男に……。」
「へ?なんか言いました?」
「…なんでもねー。」
何で未成年の男に、自分のペースを乱されてしまうんだろう。
どうしてあの人は今何をしてるかなとか、ふとした時に顔を思い浮かべてしまうんだろう…。
弁当箱を包む赤いスカーフは、今日もアイロンでシワひとつなくて。
何となく、胸がぎゅっと苦しくなった。