「櫻井さん?」
心配そうに覗き込む智に、はっと我に返る。
「いや、何でもないよ。」
「…櫻井さん。僕に嘘はつかないでもいいんです。言いたいこと、何だって言ってください。そのために僕がいますから。」
柔らかく笑われて、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
本当の姿を見せたら、お前は…どんな顔をする?
「…ねぇ、シスター。いや…智。俺が…いなくなるって言ったら、どうする?」
「えっ…」
何も困らせたい訳では無い。
しかし、掻い摘んで話せばこういうことになる。
「ここに…来れなくなるって、言ったら…どうする…?」
「それは……嫌…です……。」
ぽつりと言う智の言葉に驚き目を見張ると、智が我に返ったように慌てて手を振る。
「あ、違う、すみません!櫻井さんの事情も聞かずにこんなこと。したいことをされるとか、ステップアップされるとか、そういうことでしょうか?とても素敵なことです。」
べらべらと珍しく早口で弁明する姿に、思わずニヤけてしまう。
智、もう…遅いよ。
「寂しい…?」
「…っ、だから、僕は!」
「俺と…一緒に来てくれない…?」
頬に手を当てると、智の目が泳ぐ。
「な、何言って……」
いつも独りで、孤独な智。
ここで育てられたけど、唯一の男だからずっといじめに遭ってることは知ってる。
まぁ、それを悪魔界から目撃する度に俺がそいつらに不幸を与えてきたことは知らないと思うけど。
だから、彼にとって俺は唯一の友人なのかもしれない。
俺が知る限り彼を尋ねる外部の人間は一人もいない。
そんな俺の存在が彼の中で大きくなっていたのかと思うと、それは当然だと知りつつも嬉しい気持ちが込み上げる。
「…俺は、あなたが好きなんです。」
「さ、く……」
揺れる瞳は、光る朝露よりも、天使の泪よりも綺麗だと本気で思う。
「智は…?俺のこと、嫌い…?」
智が何かを言いかけて、ぐっと拳を握る。
「……嫌い、だよね……つーか俺男だし…。」
その前に人じゃねぇし…。
先走ってしまったことに自己嫌悪する。
ああーくそっ、何してんだ俺は。。
「僕も…あなたが……好きです……。」
消え入りそうな声で、俯きながら智が呟く。
「…へっ?」
「こ、こんなの…ダメなのに…!神の前で僕は何を……っ」
両手で顔を覆う智。
ああ…
お前はなんて美しい存在なんだろう?
シスターに恋愛はタブー。
しかしその罪すらも高潔なものに変えてしまう。
恐らく、不安でいっぱいな時でも、何かに傷付き涙を流す時でも、例え死んだ姿でも、智は美しいだろう。
いや、それでも──
悪魔の姿が、きっと、一番美しい。
「えっ…?!」
バサッと背中から出した漆黒の羽。
するりと伸びた尻尾。
ステンドグラスから漏れる陽に作られるはずの影が、ゆらりと意思を持って揺れる。
「智。俺は、悪魔だ。」
普通の人間はこの姿を見て恐れ慄く。
失神したり、発狂したり。
分かってる。
だけど、それでも。
好きだと言ってくれたその言葉を、信じたくて……。
「お前が好きなんだ。悪魔の、俺が。シスターの…お前を。」
ゆらり、智が足を竦ませる。
やっぱり早まっただろうか。
でも…どちらにしてももう潮時。
お前を堕とすか…手を引くか。
「どう?引いた?嫌いになった?でも…これが本当の俺だよ。」
智の瞳に俺が映る。
真っ黒な羽根が宙に舞う。
お前に俺はどう見える?
怖い悪魔?
悪の存在?
それとも──
「……驚きました。」
…そう来たか。
どこまでも素直な感想に苦笑が漏れる。
「悪魔様だったなんて……天使様だと思ってたから。」
……は?
意味の分からない言葉が聞こえた気がして、眉間にシワを寄せる。
今なんつった?
テンシサマ?
テンシって、天使…?
「とても綺麗で、人間とは思えなくて…神の使いに恋をしてしまったのかと思ってたから…。そっかぁ、んふふ。悪魔様だったのかぁ。」
……んふふ、じゃねぇし。
なんでビビんねーの、マジで。
「なぁ、聞いてたか?俺は悪魔だ。お前はシスター。…分かってんの?」
「分かってますけど…でも、櫻井さんは櫻井さんだから。」
ふにゃっと笑う危機感のないシスターに、目眩がする。
ったく、こいつは。
「……だから目が離せないんだ。」
「へっ?」
ぐいっと襟元を引っ張る。
「んっ…!」
唇を押し付けると、驚いて固まる何も知らないシスター。
恐らく…いや、確実にこれが智にとってファーストキス。
「……っ!い、今…き、き、キス…?」
新鮮な可愛らしい反応に、口角が上がる。
こんなもんじゃない。
世の中の穢いこと、全部……
「全部…俺が教えてやる。」
ニッと笑うと、智の角度のある眉が更に垂れた。