ふと。
京都に行きたいなって思ってます。
京都はわたしが26年もの間生きてきた地。
生涯忘れなれない地。
・・・・・・。
でもいまは過去と悟った土地。
ならばふと訪れる位ならば許されるはずだろう
産まれて
生活をしてきた土地を
忘れることはわたしには絶対、出来ません。
お母さん。
明日一緒に京都行きませんか?
尋ねてみた。
お母さん
いまで精一杯
滋賀県で生きてます、と。
拒否されました。
だから、此処で生きなければなりません。
両親は、この土地でホント懸命生きてはる。
わたしもこの土地を我がふるさとを思えるように
滋賀のこと一杯学んだよ!鮎だろー湖西道路だろ・・??
お父さんお母さん。
あなた方の為に
親孝行らしきこと何ひとつ
出来た試しがない娘でどうも御免なさいm(_ _ )m
思い出せるのはお父さんと一緒に光明寺に肥満児だったわたしとお散歩して
その後に缶ジュース自販機で買ってくれてお兄ちゃんと一緒に缶ジュース飲んで
その後バッティングセンター行って
またそこで紙のブリックス?なんやら買って貰って飲んで笑ってバッティングしてる
お兄ちゃん眺めてみてて・・・
3人で自宅まで闊歩して途中お寺で手を掌わせて・・
お家に帰ればお母さんの作ってくれた朝食お味噌汁と卵焼きと白ご飯。
美味しくて嬉しくてそれこそ大口開けて食べて食べつくして・・!!
ガハハ笑いして過せていた。あの頃多分昭和60年頃・・・西暦で言えば1985年。
お父さんの鼻の穴をスパゲティーや!!といじるのが好きだった時代。
あんな日常でめっちゃ楽しくて有難うだったのに・・
高校3年位から病気になって家族とのコミュニケーションもとれなくなった。
正に灰色人生。
わたしはいまでも生まれ育った町が好き。
一生絶対忘れない土地。
京都府長岡京市。
わたしはまたあの土地に行く。