秋の地方公演 昼の部と夜の部に行って参った


1年ぶりの会場なので 緊張したのか ただ単に待ち遠しかったのか 会場時刻と開演時刻を間違え 鬼のように早く着いてしまった(-_-;)


「三味線さん」は今回 一人で弾いた『忠臣蔵』は いい塩梅でよい音が出ていたし 『釣女』のツレでも ソロの部分がけっこう長く ノリもよく 珍しい掛け声も 腹からてふよりは喉から出た感じで ちょっと硬かったけど それはそれで生真面目な緊張感が漲っていて よろしくあった 『釣女』は 相生座に行かれなかった今年の夏前から ずっと観てしがなであったのが とうとう機会に恵まれてよかった 清十郎さんの遣う黄色い足袋の太郎冠者は 仕草に愛嬌があって 断トツの印象だった 物語は可笑しくて でも ちょっとせつなくて 込み入った涙が出た てふのも 醜女に感情移入しちゃうのだ(「こは如何に」とは こは如何に! こっちだって できることなら一生 被衣を被いだままでいたかったよ!)


巡業用の仮設の床だったので 御簾の両側に柱があって そんなに太くもないその柱が『忠臣蔵』の時は わざわざ顔を隠しにきていて ちょっとがっかりした代わりに 『釣女』では 座布団がど真ん前に敷かれたので 大満足だった 床から見れば(といっても 「三味線さん」は舞台では眼鏡をかけていないのでまず見えていないが) いわば最前列で まるで自分ひとりのために弾いてもらっている気分だった…


違うけどね(^_^;) だって 昼の部はほとんど満席で 私の背後は それこそ人人人だったのだ


劇場がお客さんでいっぱいの日はほんとうに嬉しい まして その満員のお客さんを背にして 最前列にちんまり座って床を見上げる(だから 見てないで 聴け! てふ話ぢゃが…)晴れがましさといったら! そういう意味で今回はまことに座席運がよかった


満席の迫力(?)は 床にも伝わったようで きょうはけっこうたくさん来てくださってましたね 幕が開いたときの熱気がすごかったです と嬉しそうであった 演奏面で褒めどころの多い舞台だったので あそこがよかった ここがよかったと いろいろ褒めて困らせようと思っていた(修行中てふまともな自覚のある人は褒められると困るものでせう)のに きょうはお着物で と言われたくらいで 頭が真っ白になり 九月公演のチケット取りでいかに電話が繋がらなかったかとか 相変わらずじつにつまらない話ばかりしておいとましてきた まだまだ 修行の足りないファンである


夜の部は 昼よりは空席があったけれど それでも去年に比べると埋まっていた 『曽根崎心中』の知名度もあるだろう
今年から来年にかけては『曽根崎』が目白押しだ 3月の杉本版も 休みが取れるかどうかもわからないのに すでにチケットを買ってあるが 今日の『曽根崎』は なんだかうまく消化できなかった 蓑助氏のお初を観た二月公演での感じ入りが深すぎたせいか 初めからどうしても違和感があったようだ 勘十郎氏と逆のほうがよい とは言わないが 逆だったらいいのに とどうしても思ってしまう 思い込みかもしれないが 勘十郎氏のお初には じっと見つめてしまうような風情 てふか 健気さと可憐さの絶妙な配合が無かった気がする 大ファンなのでたいていは気に入る嶋師匠の語りも 今日はなんだかしっくり来なかった 二月も嶋師匠だったはずだのに 二月にはとくに何とも思わなかった もちろん二月の私といまの私は少しは違うだろうし 嶋師匠も同じではないかもしれないから 違う感じがして当たり前なのだろうが それにしても 何がどう違うのか いまの自分の耳で 二月の語りをもういちど聴きたいなどと 無理なことを願いながら 聴いている このずれは何だ といちど気になりはじめると やはりお初徳兵衛の配置が逆なのが合わないのか 清介師匠と千歳さんのコンビも九月の『桂川』ではノリにノっていたけれど きょうの『曽根崎』で千歳さんのノリがいまひとつ伝わってこなかったのは 千歳さんと『天神森の段』の相性の問題なのか 清介師匠の気分の問題なのか それとも大夫三人のバランスの問題なのか 希さんの最後の読経は綺麗だけれど なんだか綺麗すぎるような気がする など とにかく 気が散り放題である まったく集中できていない 帰宅して二月の配役を見たら 二月の『天神森』はツレが三人 つまり太夫は五人いたのだった 違って当然だ 何にせよ 今日の舞台を 今日かぎりのものとして味わうてふことが 全然できていなかった 要するに まだまだ修行の足りないファンなのだった

映画は万人が共有する記憶だ みたいなことを ゴダールは言ったけど ひとりひとりの人間だって 自分の記憶という自分だけの映画を 死ぬまで撮り続けてるんだと思う なるべく好きなもの 美しいもの 楽しい思い出を心のカメラに撮りためて 何も無い死後の世界に持っていくんだろうと 私は 単純素朴に思っている


去年の9月 ふと思い立って文楽を観に行って これだ と思った

私は これを見届けたい これを見て 記憶する存在になりたい と


そう思うに至った経緯は すこし複雑で 話すと長くなるから しばらく置いておくけど

とにかく できるだけ 能動的に 文楽を観て 観たこと 感じたことを心に刻みつけておきたいと思う


それがどこかで 何かの あるいは 誰かの役に立つことがあるのかどうかはわからない

わからないけど 少しでも長く見届けたい かつ そうして撮りためた長い長い「映画」を少しでも長持ちさせるために 少しでも長く生きたいと思った


長生きなんかしたってつまらない 重い煙草をがんがん吸って さっさと死ぬくらいがちょうどいい と思っていた私が そんなことを思うようになった


とても不思議なことだが そういうことが 人生では まれに 起こるようだ


鑑賞を始めて秋には一年になる

当初は 東京公演だけにとどめていたのが いつのまにか 大阪にも 当たり前みたいに行くようになった

次の一年をぼやぼやと過ごさないために きちんと記録を残す習慣をつけておこうと思う

新しく作ったこのブログはそのための新しいノートみたいなものだ

何をどのくらい書けるかわからないし 知識も理解も乏しく 稚拙で 自分でも面映ゆくなることは目に見えているれけど あまり気にせずとにかく書いてみようと思う


愛する気持ちと理解が 年ごとに深まり 綴ってゆくものが しだいに有意義なものになることを 祈りつつ