暗譜というものをご存知だろうか?
譜面をみないで演奏することなんだけどね。
私のコンサート・ライブは、いつも暗譜するようにこころがけています。
(そのほうが譜面台が邪魔にならなくて、演奏している手がよくみえるでしょ?)
アーネスト・シェリングというアメリカのピアニストの人が面白いことをいって
いた。
「暗譜には3つの方法がある」
1.視覚によるもの。心の目で楽譜を読むこと
2.耳によるもの。もっとも自然な方法
3.指によるもの。練習・訓練によるたまもの
この3つの練習が行われていれば、演奏の途中でどれか一つの方法による暗譜に
不安が生じても、他の二つのうちいずれかがその危急を救ってくれることになろ
う
そう書いてあった。
なんかなるほどと納得してしまう。
私も自分の曲を含め、ステージでやる曲は暗譜している。
暗譜しようとしているわけではなく、ステージでやるときにはもう暗譜できてい
る。
いろいろな人が暗譜についていっている。
ミッシャ・ディヒターさんいわく
「腰を下ろして4,5時間集中的に練習すれば、その曲を暗譜したといえる。暗
譜されていないとすれば、本当に勉強したことにはならない」
これは、3番目の方法なのかな。
また、ルドルフ・ゼルキンというひとは
「指による暗譜は危険で、信用すべきではない。なぜなら演奏直前まで私は指使
いを変更したいから」
なるほど・・・一理あるな。
こんな人もいるらしい。アルトゥール・ルービンスタインという人。
「私の暗譜は写真的です。頭のなかでページをめくっているんです。ときにはそ
こについたコーヒーのしみまで見えてきます」
あぁ、わかるわかる。Kotoの古典(子供のころからやってきた)だと、あそこに
落書きしたなとか、ページのはじっこ遊んでて切り取ったなとか、何行目だとか、
わかるものね。
アルゲリッチというひともこんなことをいっている
「暗譜の問題ではないでしょう。演奏そのものの問題です。うまく弾けるかどう
かを心配するだけです。そんな心配のある曲は弾いたりしませんわ」
これも納得。いや、そんな心配のある曲やったことあるな・・・。
人のアレンジで、時間がなくて、あわせる時間もあまりなくて本番むかえたこと
も過去にあったな。そんな演奏もしてきちゃったんだな。
私は覚えようとして暗譜したことはないんですね。暗譜するまで練習もするけど、暗譜する前から曲のことはよく理解してるし(あたりまえか、自分の曲が多いし)、次のページめくれば、メモかいてあったなとかもあるし。
総合的にちゃんとやっているみたい。
これが、新しい曲や、人様の曲にも適応していかないといけないね。
もっともっといろいろな人の曲を理解していかないといけないということかな。
あいにく、邦楽、Kotoの世界は、新しい曲が水面下で生まれては消えていってるっぽい。
なぜか?だって私の耳に届く曲ないもの。邦楽の世界を離れてから、13年。
私の曲も、あちらの方たちに届いてないから同じことだけど。
ただ、一つ、私が気づいたことがある。
3番目の練習して指で覚えこませるという手法。
たしかにやっているけど、全然足りていないことに・・・気づいてしまった。
もっと私はできるし、やらないといけない。
そういう風にこれから10年、厳しくやっていこう。
世間がシルバーウィークに入ったいま、私は自分を大きく見つめなおしている。
反省することがたくさんみえてきた。妥協してきたところがたくさんみえてきた。
自分はなにをするために生きているんだろう。
次の私のコンサート・ライブを楽しみにしていてください。
私のファンは優しすぎるんだよね。
もっと私を厳しくみてくださいな。
うれしいんだけどさ(笑)
Gayo