『地球移動作戦 (上)』 | 手当たり次第の本棚

『地球移動作戦 (上)』


冒頭にかかげられている通り、これは古いSF映画『妖星ゴラス』のオマージュ作品だ。
日本のSF史にも燦然と輝くこの映画、公開は1962年だそうで、当然白黒だ。
劇中、『おいら宇宙のパイロット』という歌が効果的に使われており、私は実を言うと、この歌の方を先に耳にしている。
曲調は古いのだけれども、なぜか非常に印象に残っていて、そのせいもあり、映画を見たいと思っていた。
幸いにして、今年になってから、DVDをレンタルして見ることができたのだが、当然の話ながら、今となっては細部にツッコミどころの多い作品で身もだえしつつ……しかしあまりにも壮大な発想に、かなり度肝を抜かれたと言わなくてはなるまい。

彗星なり、放浪惑星なりが、地球へぶつかろうとしていて、おそろしいことになるというシチュエーションは、いろいろと映画にもなったし小説にもなった。
冷戦時代のアメリカ映画などでは、この時こそ米ソが手をたずさえ、ともにミサイルをぶちこんで……というような展開になったりするのだが、その中で、衝突コースからなんとかして地球をどかそう! という発想を打ち出したのは、『妖星ゴラス』だけなんじゃないかなあ。
もちろん、そうそううまくいくわけもなく、映画のなかでも、その計画を進めるのになかなかの苦労をしていたりするのだ。
科学的な考証は万全ではないけれども、このアイデアひとつで、確かに、ゴラスは凄い作品だ。

しかし、現代のSFファンとしては、もどかしい気がするのも事実。
面白いアイデアだけど、いくらなんでも実行はできないだろ。
面白いけど。面白いんだけどねっ。

そのなんともいえない歯がゆさが、本作ではみごとに怪傑されている。
そうか、なるほどね、こういう手があったのか?
しかも、こちらは小説であるだけに、フィルムの長さという縛りがないから、映画よりも広範に、細部まで描く事ができるという利点がある。

たとえば、ゴラスにかわる惑星シーヴェルは、見えない惑星として登場する。
なぜ見えないのだろうか?
その設定がとても面白いのだ。
単に面白いだけではなく、それが、探査船の悲劇にも、のちのちの地球各地でのムーヴメントにも、大きく影響していく。

そして、本当は、宇宙へ、遠くへ、はてしなく旅していきたいという宇宙開拓者の心意気が、なんとパンツァーリートの替え歌という形で登場する。
これ、基本、勇壮な軍歌なのだが、作中描かれているように、ゆっくりとバラード的なアレンジをして歌い上げる事も可能なメロディーラインだと思う。また、最初から(有名な、『バルジ大作戦』でのシーンのように)足を踏みならしながら歌うよりも、宇宙空間にはそういう出だしがふさわしく、後半のもりあがりがいっそう際立つものと思われる。
なんともにくい選曲であり、演出だと思う。

なお、リンク先のYou tube の画像は、2曲とも歌詞のテロップがある。
「おいら宇宙のパイロット」の歌詞は、下巻巻末の解説に、聞き取りされたものがあげられているが、シュテルンシフリートの本歌がどんな歌詞であるのか、ドイツ語のわかる人は比較してみると面白いかもしれない。
そういえば、替え歌シュテルンシフリート、タイトルがドイツ語のようだけど、歌詞もドイツ語で歌われていたのでしょうかね。ちょっと気になる!

さて、映画と同様の展開をしていきつつ、背景の世界観には、オリジナルの要素がある。
それが、ACOMと呼ばれるものや、従来の映画やドラマなどが衰退して別のメディアが優勢となった世界観だ。
別のメディアといっても、全く異質なものではなく、今の「ネット」や動画サイトなどがずっと発展した状態だと考えればいい。
あり得る世界観なだけに、想像する事が容易だ。
ACOMは純粋に機械的存在であるロボットの、仮想現実方面に進化した形だと考えられる。
厳密にロボット三原則に縛られる事はなく、あくまでもかの三原則は、本能のようなものであって、絶対ではない、という考え方が取り入れられている。
しかも、この部分が後に大きなポイントとして働くのだ。

最初から、目を話せない要素がいくつもあり、しかも複雑すぎると思う事もない。
適度なドライブ感をもって読み進めていく事ができるだろう。


地球移動作戦〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)/山本 弘
2011年5月15日初版