[『教室』〈異形コレクション27〉 (後半) | 手当たり次第の本棚

[『教室』〈異形コレクション27〉 (後半)


朝松健の「侘びの空」はまたまた室町時代で一休ものだが、タイトルから推察せらるるとおり、茶の湯の教室。
時代的に、利休以前の茶という事になるけれども、この茶の湯は、美しくも怖い。
茶室とも教室ともなる場は、野趣すら漂うのだが、茶碗の底にあるのは、確かに侘びの世界かもしれない。

「教室は何を教えてくれる?」
教室で、ではなく、教室は。
漫画だが、写真も用いた前衛的でちょっとシュールな短篇だ。

一転して、「花切り」は、愛書から最後まで怖い。うっとりするほど、怖い。
ホラーのアンソロジーなら、こういう怖い話を読みたいのだ、と思う。
怖さがどんどん積み上がっていって、ラストにはみごと、頂点に到達する。

ところで、岡本賢一というと、なにやら生な名示唆を感じる物語が多いかと思っていたのだけれど、「必修科目」は、とても切なく、しかもラストは不思議な救済がある物語だ。
社会というシステムがここまでおそろしいものになれるのか。なれるのかもしれない。
しかし、人間は(日本人は、でもいいが)、決してそれに押しつぶされるべきものではないという、希望のある物語なのだ。
システムがばかばかしいからこそ、それが際だつ。

「あの日」は、なかなか、面白い。
我々が、無重力空間での生活をリアルに想像するためには、相応の努力が必要なように、もし、無重力が日常である人々がいたならば、地上の生活を想像するのはいかばかり難しい事だろうか。
しかも、それをみごと、逆手にとった作品なのだ。
これは、楽しいミステリだ。

「実験と被験と」は、レトロな教室を実験場としながらも、社会そのものをつきつめた、怖い作品だ。
残虐な事件が増えていくほど、もしこの物語が現実になったらと、想像してしまうだろう。
なぜ、人間は残虐な事をするのか?
その被害者を癒すにはどのようにすればいいと思う?

「ネズミの穴」は、教師の目を通して語られているが、主役は教室そのものだ。
あまりにも日常的な教室という場だけれども、そこに渦巻く思いのほどを考えるなら、あるいはこういう事が起こらない方が不思議かもしれない。
いや、自分が知らないだけで、実は日々、起こっているのかもしれないが。

日本語学校というと、バブルの頃からいろいろとピンキリな、というか、そのキリの方でいやな噂があったりしあtが、ここに登場する日本語学校も、ちょっと経営は苦しそう。
しかし、それは直接には関係しない。
ここに登場する中国からの留学生は、国に妻子がおり、立身するため、必死の思いで日本に渡った。
私は、学生時代、まさにそういうキャラクターを知っていた。
だからこそ、よけいに哀切に感じるのだろうか。

さて、次なるは自動車学校の教室だ。
免許を取る時、必要な座学を受けるのは退屈だったものだが、もしこんな授業だったら、きっと面白かった。
帽子の男とは、あれだ、標識に登場するあの人だ。
彼に、こんな事情があったとは……。

「スクイーズ」は水中の教室。
ダイヴィングにからむものなので、このスポーツを全くした事のない私にはピンとこないところもあったが、水中の恐怖というのは、なぜか、陸上の恐怖より層倍怖い気がする。

「エスケープ 不ロム ア クラスルーム」は、「キズ」があるために、クラスから阻害される生徒にまつわるものだ。
そういう場合も、教室というものは、影となってつきまとう事があるのだろうか?

さて、昭和の時代、なにかひとつずれていれば、「逃亡」のような日本になっていたのかもしれない。
学校の生徒は学校から逃れる事ができないが、もし、どうしても逃れようとすると、こういう方法をとらざるを得ないのだろうか。

そして、最後は「再会」。
水没する分校が舞台だけれど、辛い思いでなども、もしかすると、不思議に美化されていくかもしれない。
だとすれば、そこには、こんな存在が介在しているのかもしれない。


教室―異形コレクション (光文社文庫)/井上 雅彦
2003年9月20日初版