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『ことのは』

ココロの深呼吸です…。



父は何が楽しくて生きていたのだろうか。
長く仕事勤めをして、
退職したと思ったらコロナが始まって。

勤めている中でも、
当然嫌なことはたくさんあっただろうし、
単身赴任も大変だったと思う。
家に戻ってもこうるさい嫁がいて、
休みの日だってのんびり出来なかったと思う。
母は7年、施設を行ったり来たりして祖母の介護をしていたけど、
父が休みの日には送り迎えを当然のようにしてもらっていた。
休みの日くらいと母は思うかも知れないが、
勤め人が休みの度に予定を決められているのは、
たぶんストレスだったはずだ。
その祖母が死んでからはコロナ禍で、
その中でも父は、
釣りや畑などを好んで精を出していたけど、
まだ週に数回嘱託で働いていた父は、
ほんとはきっぱり仕事も辞めて、
毎日好きなように過ごしたかったんだと思う。



たいして仲も良くない家族で、
子供もそれぞれ想いがあって、
あまり実家に寄り付かない。
私も、
家族が「良いもの」とは思わなかったから、
結婚がしたいとも子供が欲しいとも、
思わずここまで来た。
小さい子が好きな父は、
自分の孫の顔を見ることはなく、
「幸せ」になる様子もない自分の娘のことも、
どんなふうに思っていたのだろう。





母は手のかかった弟ばかりを可愛がったので、
私は母も弟も嫌いだった。
幼稚園の時、
みんなはお母さんが来ていた遠足も、
私はお父さんだった。
母は弟ばかりだったと言うと、
母には、
弟が生まれる前は全部が私だったし、
それに父は私ばかりだったでしょと言われたけど、
そういう問題ではない。

父には、
私は可哀想だったと言われたことがある。
単身赴任が多かった父は、
いつも家に居てくれる訳じゃないし、
家に居る方に可愛がってもらった方が、
言葉は違うかもしれないが有利だということは分かっているからだ。

そんな弟も、
ある出来事をきっかけに、
家が気に入らなくて除籍して出て行き、
今回、葬儀の時にはさすがにやって来たが、
私は来るのが嫌だった。
母にそれを言うと、
また弟の肩を持つようなことを言ったので、
「あいつはいいですね。肩を持ってくれる方の人が残って。」と言ってやった。

母曰く、
私が優しくしないで意地悪ばっかりして育ったから、
弟はおどおどした人間に育ったらしい。
人のせいにしないで欲しい。
家でもうまくやれず、
外でも人とうまくやれないなら、
自分が悪いのだ。
除籍までして出て行ったくせに、
去年の秋には、
鬱病になったとかで働けなくなり、
お金の助けを求めて来たらしい。
最低だ。





遠くにいるから仕方なくて、
近くにいるから当たり前理論が、
これから私を縛るのだろうか。
うちの「息子」として、
享受出来るものは享受して、
あとは私が頼まれるんだろうか。
可愛がった方に面倒を見てもらえばいいのに、
これから私が、
近くの母を気にかけなきゃいけないんだろうか。
側にいる私がみるのが当たり前で、
もし知らん顔をすれば私が悪者なんだろうか。


まわりみんなが私を急かす。

納得行かない。




















通夜と葬儀が終わって、
父の祭壇が家に作られた夜。
父がいつも居た部屋に設けられたこともあり、
もうこの場所に父は戻らないのだと、
強く実感した。

それまでは決めることと式、
人の対応に追われて気を張っていたが、
急に心細さが襲って来て、
なんだか無性に悲しくなり、
ひとりで、泣いた。
二時間以上、ずっと泣いていて、
抱えていたバスタオルがぐちゃぐちゃになった。






その夜、
父の夢を見た。

「人にはそれぞれ考え方があるから、
どうしても嫌だと思うことはやらなくていいけど、
ちょっとくらいやってあげてもいいかな~って思うことは、
まぁ、やってやれ。」
そう言った。

あれから、
物事に直面して、
一番最初に思い付いた気持ちや行動は、
父からのメッセージだと思って対応している。





くだらない、小さなことで例えると、
コンビニの前を通りがかった時、
父の好きだったパンを買ってこいや、と心に浮かんだとしたら、
買って供えてみたりして。

そんなふうに過ごしている。















地下を歩いていると、
毎日同じ辺りに浮浪者が転がってる。
存在だけで不快なのに異臭まで放ち、
こちらは、眉間にシワが寄る。。

その横を通り過ぎるたびに、
最近は、
こんな汚いオヤジが何のために生きていて、
どうしてうちの父が死んでしまったのだろうと思ってしまう。

命の価値は平等とはいうけれど、
心の底からそんなふうに思ってる人はどれだけいるんだろう。
綺麗事でしかないと、私は思う。




この浮浪者と自分の大切なひとが同じとは、
思えるはずもない。
これを「ひどい」と思う人は、
相当な偽善者としか思えない。













彩雲ってやつ。
10年以上ぶりに見た。
写真よりも、
もっと虹色がキレイに見えたんだけど…。

火葬場を出て、
バスから空を見上げたら虹色。
上を向けよと、
父が言ってたのかな。。。

来迎図にあるように、
極楽浄土から、
阿弥陀如来が菩薩をしたがえて、
彩雲に乗ってやって来ると言うから、
良いところに、
父は行ったんだと思っています。





何だか、
あっという間の出来事だったな。
体調がなんか良くない~と言い始めてから1ヶ月で、
父は怒濤のように逝ってしまいました。

秋の健康診断でも何にもないし、
普段から運動をしたり鍛えていたし、
薬なんかも一切飲んでないのが自慢で、
体には自信のあった人でした。


ヘビースモーカーだったので、
絶対にいつか肺癌で死ぬな、とは思っていましたが、
まだ今じゃないだろ、とは思っていたし、
肺はたぶん転移で、原発ではないだろうとのこと。
悪性リンパ腫があり、肺、肝臓、腎盂、骨、
あらゆるところに癌が広がり、
もう実際どこが最初なのかも分からない「不明癌」の診断。
いきなりステージⅣの判定で、
余命とかは知らされてはいないけど、
治療はなかなか難しいといった主旨の告知を受けてから、
わずか数日で逝ってしまいました。

もう治療の対象ではないとのことで、
どこの病院もこのコロナ禍も重なり受け入れて貰えず、
家で過ごすことは父も伝えられていましたが、
そんな中で痛みが強くなり、
量を増やしてモルヒネを使うので、
意識が曖昧になる前にと、
一度病院に呼ばれ、完全防備で病室に5分だけ入れてくれたのですが、
「きっと元通りには治らないだろうな。
でも、こんな状態で家に帰ってもお互い大変だし、
身の回りのことをまたもう少し出来るようになるまではここにいるから。
もう少しあったかくなってからだな。
状態は聞いたし、それは受け入れるけども、
でも、どうして急にこんなことになったのかは、
ちゃんと調べてもらわないと家には帰れない。」
水の溜まった肺での呼吸は絶え絶えで、
絞るようにそう話していました。

お医者さんは、
前から症状が出ていなかった訳はないと思うと言ってましたが、
父としてはそこまで異変を感じてなかったのではないかと、私は思いました。
寄る年波には勝てない体調はこんなもん!と割り切るには、
おかしいと思わないはずはない程度だと思うからです。
なんで“急に?”って、
すごく感じてるふうだったから、
無念だったともちろん思うし、
この1ヶ月はつらかったに決まってるけど、
でも、
治らない病で長く闘病するよりは、
良かった面もあるのかな、
とも今は思います。


最期は、
朝方病院に呼ばれて、
もう時間の制限もなく病室に入れてくれました。
こちらの完全防備は変わらなかったけど、
それでも入れてくれて良かったです。
5~6時間、
頑張ってる父に声をかけたり擦ったり。
亡くなった時も、
私が目を閉じて、顔を拭いてあげられたので、
良かったです。




人が死ぬということは、
とっても大変。
悲しんでいる暇もないくらい、
決めることでいっぱいで。

まだ現役の世帯主が死ぬということは、
とっても大変。
手続きやらなんやらも、
今悪戦苦闘です。

この時代ですから、
携帯やらパソコンやらに必要なことも詰まっており、
それもまた大変…。

なんか、
人のものをあれこれ見るのも、
必要ではあるから仕方ないけど、
こちらもあまりいい気しないしね。





今週までは会社も休めるので、
やるだけのことはやって頑張ろうと思います。

また今日はえらい雪が降ったし、
自分の家も心配だなー💧
とか思いつつ、
実家にて(わからずや相手に)奮闘中です。



そんな1月でした。