セラピストにとって、こういう感謝の言の葉を言っていただけるのが、一番の喜びになりますね。
記録書の整理をしていたらフッと出てきたノートが目に止まりましたので、読んでみたら、当時の様子を思いだしたので掲載させていただきました。
ご高覧有り難うございました。
hamano0708
応援よろしくお願い致します!
セラピストにとって、こういう感謝の言の葉を言っていただけるのが、一番の喜びになりますね。
記録書の整理をしていたらフッと出てきたノートが目に止まりましたので、読んでみたら、当時の様子を思いだしたので掲載させていただきました。
ご高覧有り難うございました。
hamano0708
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こんばんは。
先日は「大いなる存在」について語らせていただき、私が思う「神」の存在や、宗教に関する異論について述べさせていただきました。
しかし私は、無神論者ではなく、唯物主義でもありません。
この世の原理原則、摂理、法則といった科学的概念で説明できる「実相」を肯定している者の一人です。
私のこの価値観を共有できる方がいましたので、ご紹介させていただきます。
その方とは、誰でも多くの人が知っている「アインシュタイン」です。
では、彼の唱える「神」というものについて、説明されてる動画がありますので、
こちらをご覧ください。
神など存在しない○○だ…
いかがだったでしょうか?
なんとなく、イメージが出来ましたでしょうか?
つまり「神」は偶像的なものではなく、人格を有しない概念そのものであると捉える、
森羅万象、自然の摂理であると説明づけているのです。
私が思う「神」というものに対しての捉え方と、非常にマッチしています。
私は、信仰心というものを否定してはいません。
どのような宗教宗派であろうとも、信者にとっては幸福の礎となっており、死後の世界での
御加護を願う、安穏に生きていくための共同幻想であると考えます。
ただ、宗教の違いで諍い事が起き、戦争やテロに発展してしまう独善的な面も有しており、
絶対的な善であるとは言えません。
「祈る」という崇高な行為は、「真・善・美・健・富・和」を尊ぶものであり、利他愛や潜在意識
の開化を活性化させ、ある種のエネルギーを生み出し、自己実現の欲求を叶えることがで
きると言えます。
そこに「感謝」があれば、「大いなる存在」についても、同じことが言えるでしょう。
ご高覧ありがとうございました。
kotonoha-2019
こんにちは、kotonoha-2019です。
昨日は「春分の日」
もう、春ですよ![]()
![]()
今年の冬は、結局、私の住む「山口県」では、雪が積もったのは2~3日くらいで、まさに暖冬でした。
このままだと、今年の夏はエルニーニョ現象とかで、猛暑になるのは避けられないでしょう。
昨年も相当暑かったので、今年の夏も心配です。
昨年は熱中症で祖母が入院し、17年間飼っていた犬も死んでしまいました。
地球の温暖化は、ますます勢いを増してきていて、オゾン層の破壊で紫外線がどんどん射しこんできて、海からの上昇気流で、台風や豪雨の被害も、昨年以上に起こり来る可能性が高いと考えます。
今から、災害対策を備えておきたいものです。備えあれば憂いなし。
ところで地球をひとつの「生命体」として捉えた時、まさに自然治癒力によって天災という形をもって、本来の地球の生命体としての姿に立ち返ろうとするのではないでしょうか。
人間のエゴに満ちた豊かさの裏側で、森林伐採、CO2による温暖化、フロンの放出によるオゾン層の破壊など、ほとんどが人間の手によって地球のリズムを狂わせていると思うのです。
人間にとっては、お金と引き換えに、便利さや飽食や快楽を追求した結果が、このような「自業自得」によって「大いなる存在」から石鎚を落とされるのではないかと思います。
東日本大震災によって、大きな津波が発生し、多くの尊い人間の命を奪われました。犠牲になった彼や彼女たちは、何も悪いことをしてないのに、何故、あのような悲惨な目に遭わなければならなかったのでしょうか。
当然「自業自得」ではないと思われるでしょう。
その真相は「大いなる存在」にしか分からないでしょう。
ただ言えるのは「大いなる存在」にとっては、あの天災を起こしたことには罪の意識で行ったものではないと思われるのです…。
ただし私的に思ったのは、あの場所に「原子力発電所」があったことに意味があるのではないかと考えます。
いくつもの核実験や、戦争では広島・長崎の原爆投下。
過去の過ちを未だ作り出し、利用している。
平和利用であろうが、戦争の究極の武器であろうが、原子力のエネルギーを人間の手によって操作してはならないのだと思うのです。
恐らく「大いなる存在」からの警告であったと思うのです。
少なくとも、あの震災は偶然に起こったものではないと思うのです。
ある教典の中に「人間が神の領域を超えんとするならば、それは神の掟により、堕天使として奈落の底に突き落とされる」という教えがあります。
原爆を作った、オッペンハイマーはこう述べています。
「今は我は死なり。世界を破壊する者なり」と。
この世の中、森羅万象、破壊と創造によって成り立っていると思います。
原理原則や法則、摂理といったものは、宇宙全体に司る「ルール」であると思うのです。
それを支配するのが「大いなる存在」であると言えるでしょう。
「大いなる存在」にとっては、人間が持つ善と悪の概念はなく、宇宙を司る「ルール」を忠実に遂行している
だけだろうと考えます。
現在は、「原子」よりまだ小さく、ありとあらゆるものの中核となっている「量子力学」で唱えられている「素粒子」というものを発見されました。
原子力でさへ人間が操作するべきではない物質を、それをまだ掘り下げて研究をした結果、「素粒子」というものの存在を、まだ仮説の段階ですが発見してしまった。
またひとつ「神の領域」を超えようとしていると思います。
これを人間のエゴの続きに利用されると、「大いなる存在」によって破壊と創造が行われる気がします。
現世の人間には、どうか「足るを知る」(足るを知る者は富む)「程を知る」という原理原則に、今一度立ち返って、心の原風景に五感を働かせ「大いなる存在」に対して、問うてみてはいかがでしょうか。
これは宗教ではありません。
誰もが心の深層心理にある、人間本来が持つ「潜在意識」への働きかけです。
最後まで、ご高覧ありがとうございました。
kotonoha-2019