投稿写真

投稿写真

投稿写真

あの日、ここには…

若い頃は、身体が震えて近寄れなかった惨劇の舞台。
最近、ようやく訪れる事が出来る様になった。

一昨年は、沖縄のひめゆりの塔。
去年は、鹿児島の知覧。
今年は、福岡の太刀洗に、広島の原爆ドーム。

恐くて知りたくなかった戦争の事実を、
ほんの少しだけ肌で感じてみる。

亡き父の、18歳年の離れた長兄は、終戦後
戦犯として、2年もの間シベリアへ抑留された。

次兄は17歳位の時、特攻隊員として、
11月に出撃命令が出ていたけれども燃料が届かず、
そのまま8月の終戦を迎えた。

二人ともに帰還した後、しばらくは
まるで別人の様に、荒んでいたそうだ。

その後、次兄伯父夫婦は、
毎年靖国神社の参拝をしている。


70年という時の流れの中、
同志の魂の祀られる場所で、
様々な思いを馳せているのだろう。

伯父が小学校の校長だった頃、全校集会の時には
必ず、「自分の命は自分で守れ。」と言っていた。


私が給食係の時、お盆を流水で洗っていたのを
通りすがりの廊下で見付けて、
「水を粗末にしない様に。」と、注意された事もある。

甲子園球児達と同じ年頃の食べ盛りの若者が、
食料も水も不足し、劣悪な環境の中で死を覚悟する。

もし、私が見送る母親だったら…
胸が張り裂けんばかりに、嘆き悲しんだだろう。
代われるものなら代わってやりたいと、切に願っただろう。

命は、生まれてきた瞬間から、
死に向かって、時が流れるのだけれど。

せめて平和ボケしない様に、襟を正さなきゃ。
ちゃんと死ぬ為に、ちゃんと生きなきゃね。