「人工肛門は負けではありません」
思いがけず、私の口からこんな言葉が自然に出ました。
先月、ある患者さんが腹痛と吐き気のために入院されました。
60歳代の女性で、卵巣がんの患者さんでした。
がんが腸の周りに広がってしまったために、腸閉塞の状態でした。
緊急で入院した翌日に、人工肛門を造る手術を受けることになったのです。
腹痛があるとのことで伺ったのですが、
主治医から手術の説明がなされた直後でした。
患者さんは、急な治療方針の転換に気持ちが追いついていません。
私は初対面の患者さんでしたので、まずは自己紹介をしました。
しかしながら、とてもゆっくりお話ができるような状態ではありません。
絞り出すような涙声で、看護師さん達にはこんなことを言っていました。
「これまで頑張って治療してきたのに、こんなことになってしまった」
「急に手術と言われてても……」
「便が体から出るなんて、考えられない」
病室にいた看護師さん達も私も、言葉を失っていました。
こういうときにどんな言葉がけができるのだろうか。
この方にとっての言薬はなんだろうか、と自問自答していました。
急に、大粒の涙を流しながらこう言ったのです。
「がんに負けるのは悔しい」
その時、とっさに私の口が反応しました。
「人工肛門は負けではありません」
それも、毅然とした態度で言い切ってしまいました。
瞬時に、この言葉や優しく伝えない方が良いと思ったのです。
患者さんは一瞬、我に返ったような顔をしたように私には見えました。
その後、しばらくして病室を後にしました。
自分でも用意していなかった言葉を口にしてしまったので、
あの言葉はどう伝わったのかがずっと気になっていました。
手術は無事に成功し、再び口から食事を取ることができるようになりました。
術後に2回だけお会いすることができましたが、あの時の私の言葉をどう受け取られたのかを聴くことなく退院となりました。
先日、その患者さんが私に会いたいというので外来に来られました。
待合室で車椅子に座っていた彼女は、私の顔を見るなり泣き始めました。
「あの時の先生の『負けじゃない』という言葉だけを頼りに、頑張ってきました」
「ありがとうございました」
とっさのひと言が患者さんを支えていたことを知って、私も胸が熱くなりました。
振り返ってみると、私に働いたのは直感です。
事前に準備したものでなく、その場で浮かんできた言葉を口にしただけです。
もしかしたら、患者さんから発せられていた言薬であったのかも知れません。
いつでも上手くいくという保証はありません。
それでも、自分の中から自然に湧き上がってきた言葉は、その場その時に最も求められている言葉なのかも知れません。
目の前の人を傷つけるような言葉でなければ、発してみると良いでしょう。
言葉は薬になる。
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