初めて診察室に来られる患者さんの中には、様々な悩みやつらさを抱えておられるほとんどです。からだのつらさ、気持ちのつらさもそうですが、中には他の医療機関の医師や看護師から何気ないひと言で傷ついまま受診された方もおられます。

 

このブログを書き始めたきっかけは、医療従事者からの言葉が毒ではなくて薬になればいいなという思いがあったからです。

 

 

このような場面で、自然と口から出てくる言葉の一つが「大変でしたね」です。

誰かに悩みや苦労話を打ち明けたとき、この言葉を言ってもらえるとどんなにうれしいことでしょうか。聞き手にわかってもらえたら、悩みが少し減って気持ちが楽になることを多くの方が経験されていると思います。

 

ですが、私はこの言葉を発するとき、必ずあることに注意するようにしています。

それは自己一致です。

「大変でしたね」という言葉と、自分の気持ち、考え、姿勢、態度、声、視線、頷き、相づちなどが一致しているかどうかです。

 

その理由は単純です。

私は今日まで一度も「がん」という病気を経験したことがないからです。

自分が経験したこともないことに対して、安易に共感や同情を示すことは、かえって患者さんやご家族に失礼なのではないかと思っています。

 

がんを経験した医療従事者は、少なくとも私よりはがん患者さんの気持ちがわかるようになると思います。それでも、「がん」といっても原発臓器、病理診断、発症部位、ステージによって雲泥の差があります。同じがん体験者と言っても、その人の気持ちや考えというものを本当に理解することができるのでしょうか。

 

この疑問に答えてくれたのが、岐阜県にある船戸クリニックの船戸崇史先生です。

ベストセラーとなった『がんが消えていく生き方』の中で、こう仰っています。

 

 現在、私はがんの手術体験をしたことを初診の患者さんにも隠さず自己紹介しています。

 

「私もがんをやってましてね。手術もしたんですよ」

 

すると、この一言で患者さんの顔つきが変わるのです。

 

「え⁉ 先生もがんやったの⁉」

 

うれしそうな顔をするんですよ! 失礼な話ですね、まったく(笑)。 そして決まってこう言うんです。

 

「じゃあ、先生。私の気持ち、わかりますよね?」

 

 わかりません。がんに罹った人の気持ちは人それぞれです。そもそも、がんに限らず他人の気持ちなんてなかなかわかるものではありません。

 

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わかった気にならないということは、とても大切なことのようです。

私が敬愛している曹洞宗僧侶であり、医療人類学者でもおられるジョアン・ハリファックス老師も、not knowing(知らないということ)という言葉で、他者や自分自身に対する固定観念を捨てることの大切さを説いています。

 

 

大変でしたね」は、万能薬としての効果を持ち合わせた言薬かも知れませんが、用法用量を正しく使う必要がありそうです。