昨年11月、韓国の大学生D君がホームステイにやってきた。
調査票を見ると、彼は日本語を学んだことがないという。
そして英語はTOEIC 650点。
TOEIC 650点とはどのくらいのレベルなのか。
調べてみると、企業によっては“海外出張に行かせてもらえる目安”とのこと。
なるほど。
結構それなり、ということだ。
これは英語でのやりとりになるかな~?
と予想して、当日を迎えた。
ドキドキの対面式を終え、ワクワクの2泊3日のはじまり。
日本語を学んだことはないと書いてあったが、
よくよく聞くと少し自分で勉強してきたらしい。
カタコトでも彼は日本語で一生懸命伝えようとしてくれる。
どう言ったらわからないけれど日本語で言いたい!
そんなときはその状況にピッタリの挨拶や気持ちを表す日本語は何かを聞いてくる。
その気持ちがすごく嬉しい!
例えば一緒に出かけて帰宅したとき。
「何て?」
「ん?あ、『ただいま』だよ」
「ただいま!」
「おかえり~♪」
例えばとっても楽しい時間を過ごしたとき。
「何て?」
「え?んーとね…(何て説明すればいいかな?)」
「気持ち!気持ち!」
「ああ!『楽しかった!』」
「楽しかった!」
かわいくて仕方ない。
対して私たちも、カタコトの韓国語で話してみる。
勉強はしたことないのだけれど、自分の体に入っているありったけの韓国語で。
これがけっこう通じる!
嬉しい!!
カタコトの日本語とカタコトの韓国語で
何の問題もなく、私たちの時間は穏やかに過ぎていった。
それでも、どうしてもカタコトでは説明しきれないこともある。
そんなときは英語に登場してもらったのだが
そこで不思議な感覚が生まれた。
英語が邪魔に感じるのだ。
せっかく母国語同士であたたかく心が交わっているときに
突然、よそ者がやってくるような妙な感覚。
思いもかけないその感覚。
とても不思議なものだった。
D君にも同様な感覚が起こったかどうかはわからない。
同じ場にいた夫は感じなかったらしいから、
これは私だけが感じたものなのかもしれない。
でもとにかく、私たちの間での英語のポジショニングが
とてもとても、違和感のあるものになったのだ。
普段は共通語として『便利』と感じる英語だったはずなのに。
すごく、邪魔に感じる存在。
確かに便利ではあった。
細かいことも伝えられる。
利点は感じているにもかかわらず、あの違和感。
すごく不思議だった。
それとともに、何だかすごく嬉しかった。
だって、相手の母国語をお互いが大事にして
本気で向き合って通じていたからこそ感じた違和感だ。
そこまで相手と繋がれたこと。
韓国語が私の中から溢れ出てきたこと。
英語が邪魔と感じられたのは、その証明だったように思えるから。
次に彼と会ったとき、また同じ感覚が湧き上がってくるのか
それともまた違った何かを感じることになるのか…
どうなるかな?