今でこそ、「ことばが大好き!」なんて言っているけれど
私は昔、それはそれは『ことば』というものが苦手だった。
学生時代は、言葉にしてしまったら全部がうそになってしまうような気がして。
本当の気持ちを表せる言葉なんかない気がして。
全部ぜんぶ、信じられなかった。
だから本当の本当の、
心の奥底にある気持ちを言葉にして表すのは苦手だった。
…いや、もしかしたら今でも苦手かもしれない。
言ってはいけないという、無意識のブレーキがかかっていることが多々ある。
それは、セラピストという職業で出会った仲間たちによって
ずいぶん引き出され、癒されてきたけれど。
それでも。
言葉を使う仕事を選んだ私。
もしかしたら、だからこその過去なのかもしれない。
学生時代、あるバンドの曲の歌詞の一節が妙に心に響いた。
『ことばのナイフは時には何よりも君を傷つけ臆病にさせてしまうけど』
そうだなぁ。
ほんとうになぁ。。。
不用意に人を傷つけ、また傷つけられる学生時代。
そんなつもりがなくても、
あのとき投げかけられた言葉は大人になっても胸につきささったまま…
なんていうこと、あるでしょう?
逆に、そんなつもりはなかったのに
傷つけてしまったあの人と、関係が修復してない…なんていうことも。
大人になっても、言葉は難しい。
不用意に人を傷つける。
無意識に人を傷つける。
言わなくていい言葉は口にしてしまうのに
本当に言わなきゃいけない言葉はずっと心の奥底にしまったまま…
なんていうこともある。
でもやっぱり言葉にしなくちゃ伝わらない。
『察する文化』なんて、響きはいいけれど
実はものすごい驕りだ。
「言わないけどわかってよ!」 っていうことでしょ?
逆も然り。
相手の気持ちを思いやることは大切。
でも、わかった気になって全然違う解釈で扱ってしまったら
相手は途方に暮れて逃げ出したくなる。
結局どっちも傷つく。
「どうしてわかってくれないの?!」
「こんなに察してあげてるのに!」
…違うよね。
ことばは難しい。
でも、シンプルに伝えると、結構ちゃんと伝わることに気づく。
シンプルに受け取ると、心が通うことに気づく。
そういえば、子どもと話すときはそうだ。
コトバ不信だった私。
今はとても興味がある。コトバについて。
「大好きよ」って、ことば達に伝えたら、彼らは味方になってくれるかもしれないとさえ思う。
…さて。
あなたはどう思う?