帝王学中級の学びも終盤になってきました。
今回は、「仏教」です。
身近に感じる仏教ですが、沢山の宗派に分かれていることはなんとなく知っていましたが
なぜ別れる必要があるんだろう?
って疑問に感じていました。
学びの内容は・・・
仏教は釈迦の死後にできました。
死ぬ間際に
「私の死後は自らを洲とし
自らを拠り所にし
他のものを拠り所にしてはいけない」
と言ったとされます。
この教えは1世紀は守られていたそうです。
釈迦に直接教えを受けた500人の阿羅漢が膨大な資料を編纂し、
三蔵つまり
経蔵
律蔵
論蔵
ができました。これらが経典となります。
しかし紀元前4世紀中期に二度の会議が開かれ
ダルマの解釈を異にする複数の宗派に分裂したようです。
この分裂も悪いことばかりではなく、
解釈が分かれたことにより仏教が広がっていったことに繋がります。
面白いですね。
さらに面白いのは、ガンダーラ地域へと広がったことでヘレニズム時代のギリシャ人と接触するのです。
仏教とヒンドゥー教は、ギリシャ人から像を作ることを学び
ギリシャ人はインドから哲学・数学・科学の分野で多くを学んだ
と言われています。
仏教はこの文化接触に大きな影響を受けるのです。
余談ですが、
偉い方がなくなると、あとに残った弟子たちで分裂するってのはよくある話ですね。
仏教も同じ。
弟子それぞれの視点で研究して、その集合体が仏教となりました。
つまり部派仏教の集合体と言えるのです。
部派には大きく2つの勢力がありました。
上座に座ることが多い年長者グループ11派
と
大衆部にいる若手グループ
です。
お金をもらうべきかどうかで大議論が起こり、
もらわない方向に丸く収まって、年長者グループの意見が優勢となったのが
「上座仏教」
と呼ばれているのものです。
これに対して、大衆部の若手グループから「大乗仏教」が生まれます。
そして第3の仏教と呼ばれるチベット仏教が7世紀ごろに誕生します。
これはチベット古来の信仰と融合した仏教です。
そして時は流れて、この日本では13世紀に
禅仏教が花開きます。
瞑想の実践で自らの本質が仏陀であると悟る信仰です。
結局、仏陀は宗教を残したのではなく、弟子それぞれに合った話をしていたのに
それを集めてしまって大多数への教えとしてしまったので、部分部分でそれは違うという想いがあって当然で、
だから宗派に分かれたんだと思います。
これは本当に気をつけたいところだと思っていて、
人それぞれ考えや受け止め方は違うし、違っていて当たり前だと思う。
だから宗教の経典みたいに、人はこうだ、世界はこうなのだ、と決めつけずに
関わる人、一人ひとりと丁寧に敬意を持って接しようと思う。