本日は、
いつぞや削除してしまった
フォトショの変わりになるソフトが
無料で落ちてないかなーと思い
この場におるのですが。

その作業は
とっくの昔に終わっているのですが

釣りをしたいがためダケに

未だに居座っている私ですが( ´゚ω゚)ナニヵ?

あのさ・・・あめぶろサン・・・
待ち時間長すぎるよ( ̄_ ̄|||)どよ~ん



《五稜郭に呼ばれてる気がする……(」゜□゜)」ウオォ──!!》
はいはい。3日目の続きの続きですね~。

函館山の麓にある
函館八幡宮から
横道に入り山を登ること
5分~10分間。

僕は耐えた。
オロCアルヨ。-PICT0227.jpg
この道を
ヒールで歩くこと
ソンなのは、ヘッチャラさ。←流血はしてるけど。
目的があるからね!!!
オロCアルヨ。-PICT02290001.jpg

ところで
前を行く
かっぷりゃー

お前たちも、碧血碑に行くのですか??

お手手繋いで行くのですか??

ハハハン┐(´-д-`)┌

クソ。
僕の心が黒いぜ。

てな訳で、

『碧血碑』(へっけつひ)
オロCアルヨ。-SN3D06610001.jpg
箱館戦争で戦死した土方歳三や中島三郎助父子をはじめ、

北関東から東北各地での旧幕府脱走軍戦死者の霊を弔っているのが、この碧血碑。
碧血とは、「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色になる」という中国の故事「碧玉」から。
また、
この碑の近くには
放置された幕軍戦死者の死体を見るに忍びず、処刑覚悟で合葬した人物
柳川熊吉翁の功績をたたえる石碑が建てられている。

書きたいことがありすぎるので
詳しくは… Wikipediaでヨロシク!!Σ(。>д<。)ゞ←丸投げしました(*ノ∀゚*)


ここは、本当に予定外の場所だったのだけど…

この場に来て良かった。

オロCアルヨ。-PICT02330001.jpg
良かったのだが、
木々に囲まれていて
少し暗いせいなのか
なんなのか
ちょっと怖いと思ったのも事実で…

石碑の裏側に刻まれた
「明治辰巳実有此事 立石山上叺表歔志」

(明治2年、此の事は実際にありました。山上に石を建てて悲しみの気持ちを表します)

って文字が、ずっしり来たのも事実で。

たぶん…
ここにきたから
官軍の方も訪れたい。

もっと歴史を知りたいと思ったのでは無いだろうか。

あぁ…携帯の文字制限が憎いorz

いや、自分の文章能力の低さだろΣ(゚д゚;)