ここ数年で思う事。


介入時に行ってる事の9割がインプットになっている気がします。アウトプットはよくて1〜2割程度。


インプットは意外に簡単ですよね。こちらが思った事やして欲しい事を伝えたらいいだけ。
伝え方の上手さ、下手さはあるものの、指導することでこちらもやったぞ!感が出ます。



しかし、高齢になればなるほどインプットに対しての反応は低くなるような感じがします。あるある話で、こういう風に動いて下さい!足が擦ってるからつま先を上げて踵から着いて下さい!など



永遠に終わらない指導みたいな感じですよね。




その場ではできてもほぼ確実にその場しのぎとなる。



数年前からそれを感じ、指示や指導を減らして相手の感じ方などを多く聞くようにしています。




例えば立位姿勢で何かを行なったり反応をみたい場合、相手がその姿勢を保持するだけで精一杯の状態である場合は、質問しても違った反応しか返ってこない場合が多い。


なぜなら気持ちに余裕がないからです。ちょっと油断したら姿勢が崩れてしまうかしまわないかの境地にいる中、相手からの質問にまともに答えるのはかなり難しい。


海で溺れそうになって必死にもがいている時に、助けにきてくれた人に今日の朝ごはん何食べました?って聞かれても答えられないですよね。


立位が不安定だと、なんとかこの姿勢を維持するためだけに意識を向けてしまうため、ひとまずこの状態だと安心して立位が取れるようにアプローチするのが最優先。



安定した立位が取れるようになり、相手との会話をする余裕ができてから質問をしてみる。
自分の利用者さんに、立位や動作でものすごく歯をくいしばる人がいます。その人に立っている時、体全体の中でどこに力が入ってますか?と聞いてもわからかいと言います。歯をくいしばったままです。



あきらかに歯をくいしばってるので発音も変になっているのにわからないんです。そこで、口の周りにかなり力入ってるのわかりますか?と質問する。そしたら、わからないと言う。普通はそれでわかるような感じしますよね?



でもわからないと言うので仕方ない。じゃあ自分の名前をフルネームで言ってみてください?と言う。そこで初めて、言い慣れた自分の名前が歯をくいしばっているせいで変な発音になっていることに気づく。


ここでやっと口の周りにかなり力を入れていたことに気づきます。



同じ環境で勉強していても、理解できる事に差がある子供や大人がいるように、一見簡単そうに見える力を入れる、力を抜く方法は人によって全然やり方や気づき方が違います。



そして、力を入れる事よりも、抜く事の方がはるかに難しいように思います。昔から力を入れる事は運動やスポーツ、生活の中で教えてもらいますが、抜く事は一切教えられません。



自分的に



力を入れる=意識的


力を抜く=無意識的


と考えています。しかし、歳を重ねるにつれ、力を入れる事(勝手に力んでいる)が無意識に変わり、知らない間に体のあちこちが力んでしまっている事が多いように思います。


そして、すべてが無意識に移行していくと、意識的にできる事と無意識にできていることの差がなくなり、違いもなくなり、何が何やらわからなくなります。



自分はどのミネラルウォーターを飲んでも味の違いがわかりません。なので判断材料がないことから、水を買うときはどれでもいいです。しかし、水の味を知っている人は、味の違いがわかるため、判断し、選択します。



これと同じように、意識的であれ、無意識的であれ、違いがわかっていないと理解することも難しいんです。



力が抜けている状態がどんな状態なのか?入っている時はどんな感じなのか?違いがわからないとすべて一緒になり、判断し、行動に移す事は難しくなります。


なので、簡単に力を入れてくださいー!抜いてくださいー!なんて言っても理解できずその場しのぎになるんだと思います。


もっと相手に自分の体の事を理解してもらう事もかなり大事じゃないかと思います。


他にも、右の大腿四頭筋の緊張が高い右片麻痺の利用者さんに、左手で右の太ももを触って下さいというと、最初なんで触らされてるかがわかっていなかったのでなんの反応もなかったです。
そこで、右と左の太ももに硬さの違いがあるのをわかりますか?と聞き、もう一度触ってもらうと、そこで初めて自分の右足がこんなにも硬くなっているんだ!と気づいてました。


その後経過を観察し、どうなったかは後日書きたいと思います。


何日かに分けてかいたのでちょっとごちゃごちゃしてますがm(._.)m