甲斐さんといったら楽曲もそうだけど

MCが本当にかっこいい。

最近は雑談多いけど。。笑

 

まずは伝説の1979年武道館から。。

「ありがとう。。何度も言うけど

本当にこんなに来てくれてうれしいです。

俺たちは、、今年今夜を最後にして

また来年から普通のホールに戻ってやる。

そしてまた、旅を始めようと思う。

いろんなことを書かれたり、叩かれたりすることも

あるかもしれないけど、

不器用だが俺たちが一生やっていこうと思うのは

そしていろんなところでやっても最後に戻ってこようと思うのは

このステージって場所でありたいと思ってる。」

伝説やね、、ほんまに。。

 

翌年1980年武道館

「早くから前のほうに詰め掛けてくれて人

そして最後まで2階3階で我慢してくれた人

今夜のこのコンサートに来てくれた人たちと

そして逝ってしまったジョンレノンの為に

隅々まで届くようにやるから」

ジョンレノンの悲報の号外をアンコール前の楽屋で見て

号外を破り捨てステージに向かう甲斐さん。

「翼あるもの」を熱唱してこのMCから「100万ドルナイト」へ。

場内の客はジョンレノンの死を甲斐さんの言葉で知る。

この時の100万ドルナイトは中継されている映像が残っているが

言葉が出ない。圧倒される。

 

1981年 花園ラグビー場から

「いいかい。。下がらないから興奮するんだよ。

係員が。興奮させるなよ大人を。

死人が出たりけが人が出たりしたくない。

センターね、、、センターの後ろ

もっと下がれ2メートル

やりたいんだ曲を。。。。曲をやらせてくれよ」

別記事でも書くが、日本のオルタモントと呼ばれたライブ。

映像でしか見えないが、当時の参加した人からしたら

まさに地獄のようなライブ。懸命に客をなだめる甲斐さん。

 

1996年 ALTERNATIVE STAR SET "GUTS"から

「苦しい時に、どれだけ踏ん張れるかでその人の真価が

問われるという話はほんとなんだけど、

あれはもうそうゆうのを超えていた。

実際神戸の街へ行ってお金を落とすというのが

一番正しいと思うわけで、僕らができることは

行ってプレイすることしかない。

僕らはコンサートをやって、少しの搾取をして、

打ち上げでお金を落とす。」

ある方のブログで見て甲斐さんらしいなと思ったMC。

阪神淡路大震災の直後の神戸でのライブMC.

東日本大震災の時もそうだし、コロナのライブもそうだけど

甲斐さんの曲というか、生で甲斐さんが歌うことで

俺らにものすごいパワーがもらえる。

東日本大震災の時も実際足運んで現地の人にお金を落とすこと

これは甲斐さんから学んだ生き方かな。。

 

2008年 武道館

「誰かが自分が書いてほしいような曲を書いてくれなかったので

自分で曲を書くようになった。

そんなふうに生きてほしいと、だれも生きなかったので。

自分の形で生きてきて、歌い方も声もそうです。

もうみんな、ここまで生きてきて振り返れば、それなりに

自分のスタイル、味になっている。誇りをもってほしい。

目線を下げず目線をあげる。

昔言ったことがあるけど、

バンドが無くなっても、曲や作品は残る

僕らは35年目を生きていきます」

生でみた。当時高校生の俺には理解できなかったが、

大人になって社会の荒波に揉まれ

やっと理解しかけてきた。

 

 

まだまだあるけど。。。

客との掛け合いのMCとかも好きやで甲斐さん笑