新田義貞を初めて知ったのは。

鎌倉に住んで鎌倉の歴史を学んだことが大きい。

 

鎌倉の歴史って結構ファンタジーな部分が多く、

少しとんちが聞いていたり

地の利が生きた部分が大きいから

実際足を運んでみて当時の部分を思い起こすことが

できるのが大きい。

 

新田義貞は

鎌倉幕府の終焉を迎えたときに

鎌倉に攻め入った武将。

 

鎌倉って出入り口が限られていて

今は整備されていてわからないが、

昔は切通しという鎌倉に攻め入るための

道が7つしかなかった。

 

だから守りという部分に関しては

相当強固な部分がある。

 

新田義貞を語るうえで一番大きな出来事は

やはり稲村ケ崎だろう、、

 

断固として守りを固める

北条高時の牙城を崩し切れず

極楽寺坂切通し大仏坂切通しの戦いで攻め抜けない

新田義貞が、

稲村ケ崎に己の太刀を海に投げ入れ

道を開き全軍で鎌倉に攻め入り

一気に勝負をつけた。

攻められて北条高時は東勝寺にて

寺ごと焼き払い自害して鎌倉時代が終わる。

 

このエピソードと

唯一鎌倉が主戦場になったこの出来事。

実際の切通しを見て

迎え撃ち方と攻め入り方の二つの視点で見たときに

迫力含めて当時のまま残ってるのが

鎌倉の歴史を物語っている。

 

俺は一番好きな切通しは

釈迦堂口切通し。

今はもう立ち入り禁止になっているが

迫力含めたらなにかに吸い込まれていきそうな部分がある。

 

鎌倉の歴史や土地に関しては相当見解含めて

極めたことがあったので、それもゆくゆく思い出しながら

書いていければと思う。