今でも、週に一度 脳外科 の
外来をやってます。

先日、クリニックのパソコン
の画面に懐かしい名前を見つけ
ました。
珍しい綺麗な名前。
ここでは K さんと呼んでおきます。

今を去ること、23年前。
大学病院の救命センターの
チーフを終えて、もうすぐ一年。
3月のその日は
病棟の当直でした。

夕方 7時頃だったでしょうか⁉️
当直室でくつろいでいると、
ポケットベル(古いねぇ〜)
が鳴りました。
救命センターからでした。

急患が来たけど手術中でチーフ
がいないため、研修医からの要請
でした。

自転車の女子高生がダンプに跳ねられ
搬送されていました。
意識レベルは昏睡状態、下顎呼吸と
いわゆる虫の息でした。

研修医が差し出した CT 写真を見ると
急性硬膜下血腫 でした。


左側の白い部分が血のかたまり、血腫
です。脳は柔らかいので反対側に
押しやられ歪んでいます。

ところがこの時、K さんのCT初見は
厚い血腫がありながら、脳は歪んでいない。
ということは、出血していない側も
血腫の圧に抗するくらい腫れている
すなわちダメージがあるということです。
このようなCTは後にも先にもこの時だけです。

早速、家族に話をしました。
お父さんとお母さんそして叔母さんの
三人です。
お母さんは泣き崩れ宥める叔母さん。
お父さんも動揺が隠せません。

CT の所見を説明し、瀕死の状態であること、手術しても助からない可能性も高い
けれども、彼女はまだ 17歳 と若い。

「彼女の若さにかけてみませんか⁉️」

「お願いします。」
とお父さん二つ返事。

早速、緊急手術となりました。

両側大開頭血腫除去外減圧術

長ったらしい名前の手術ですが、
幸いに彼女は命を長らえることに
なりました!

その後、私は国内留学へ行ったため
しばらく診ていませんでしたが、
半年後 大学病院へ戻ってくると、
後遺症で車椅子ですが元気に
入院生活を送っていました。

そんな、Kさんとの再会。
現在、40歳 になりますが、
あの頃と変わらない笑顔。
一方、お母さんは、介護のためか
ちょっと老けて背中が曲がっていました。

「Kさん、お久しぶりです。」

声をかけると、彼女たちも覚えていて
くれて、しばし昔話に花が咲きました。

23年前に助けた命‼️

感慨深いものがあります。


23年前の、後日談。

手術のちょうど一年後。
日曜の夕方に一人で晩御飯を
食べに行きました。

隣の席で、女子高生3年生二人組が
進路の話をしていました。
一人が、
「看護大学に行きたい。
  N大かF大に行きたい❗️」
もう一人が、
  「どうして❓」と聞くと。
「ちょうど一年前に友達がトラックに
跳ねられF大に運ばれ、最初はもうダメ
だって言われたんだけど三カ月くらいしてお見舞いに行ったら、車椅子で元気にしてた。凄いよね‼️だから看護師になるんだ。」
F大って、ウチの大学だよなぁと思いながら、店を出てから思い出しました。

“もうダメです”って言った医者
俺 だ ❗️

Kさんに聞いてみると、
N大の看護大学に進んだ友達がいるそうです。