●大学受験を決意させる出来事その2
このように,大学受験を真剣に決意する原動力になった2つのものの1つは「裁判所との接点」でしたが,
もう1つの出来事は,交通事故に遭ったことでした。
1 当時の生活
25歳当時の私の生活は,(自分の目から見れば)以前に比べて随分と安定していました。
夜は新聞を配り,体を動かしながら勉強もでき,それなりに充実感があり,週1休みで月15万円の収入がありました。
昼はスペイン語の通訳やスペイン会話教室の先生をやりながら月5万円くらいの収入があり,これもまたそれなりに充実感がありました。
当時の家賃は4万円で,食費は2万円,光熱費等が4万円くらい,車の維持や雑費に4万円くらいかかり,小遣いは1万5千円で,月に5万円くらいの貯金もでき,仕事は楽しく,生活にも困らず,このままの人生を続けていくのもそんなに悪くないと感じることもありました。
ただ,当時の私は友達と飲みに行くようなことも一切なく,楽しみといえば買ってきた惣菜をつまみに家で酒を少し飲むことと,ブックオフに行ってタダで立読みをすることくらいで,「このままこの人生を続けていて良いわけがない」という焦りも感じていました。
特に,年金も払えないので免除申請を毎年出すような状況でしたし,
生命保険と言えば県民共済にしか入っておらず,
「今は体を使って仕事ができるから良いけれども,このままの人生を高齢になるまで続けたとしたら,いったい将来はどうなってしまうんだろう」という,漠然とした,しかし大きな不安を感じるようになっていました。
「病気やケガをして体を使えなくなったら,すべて終わりではないか」,とも考えるようになりました。
2 交通事故に遭う
まさにそのような折,朝の新聞配達を途中まで終えた時に,
飛び出してきた車にバイクごと跳ね飛ばされるという交通事故に遭ってしまいました。
幸い入院は免れましたが足を強く打ってしまい,
初めての救急車に乗って病院に運ばれ,2か月はまともに歩けない状況になってしまいました。
通訳とスペイン語教室のアルバイトは何とか行くことはできましたが,
メインの収入源である新聞配達ができなくなってしまい,
これまで漠然と考えていた将来への不安が,一気に現実のものになりました。
この動けないでいた2か月の間,精神的にかなり堪えたのと同時に,
「このままでは本当に生きていけなくなる」
「なんとか人生を変えないといけない」と真剣に,追い詰められるように考えるようになりました。
3 交通事故で得た補償
この交通事故では,私の側の過失は大きくないということで,
事故で働けなかった休業補償として,得られなかった2月の給料30万円のうち20万円くらいを相手の保険会社から支払ってもらいました。
また,6か月くらい通院したと思うのですが,その間の慰謝料として,30万円か40万円くらいを払ってもらいました。
何も知らない当時の私は「事故に遭うとこんなにももらえるものなんだ」と単純に考えました。
また,2か月後に職場に復帰した時,驚いたことに新聞屋の雇用主から,
「痛い目に遭ったんだからこれを受け取りなよ」と言って,
休んでいた2か月分の給料30万円をそのまま封筒に入れて手渡されそうになりました。
お金がなかった私はのどから手が出るほどそのお金は欲しかったですが,何も知らない私は,
「保険会社から休業補償をもらっているのだから,二重には受け取れません」と言って,その場で受け取ることをお断りしました。
雇用主はその返事に驚いていましたが,結局,嬉しそうにそのお金が入った封筒はそのまま受け取っていました。
このような顛末で,事故によって失った損害分は取り戻すことができたのですが,
「そういう問題ではない,これから人生を考え直さないとだめだ」と強く決意することになりました。
弁護士田中広太郎のブログ12
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