ダークサイドミステリーというNHKの番組の、
「悪徳の作家サド」の回を2025年2月に再放送で見た。
twitterにつらつら色々書いたので、
せっかくだからまとめ直して公開しようと思う。
ただ、あらすじをなぞることはしないので、
公式サイトの番組説明も置いておく。

ダークサイドミステリー 悪徳の作家サド 闇の哲学〜危険すぎる“自由とは何か?”〜


<番組説明>
「サディスト」の由来、フランス革命期の作家サド。彼の小説は「悪魔の福音書」と呼ばれるほど性と暴力に満ち、国王ルイ16世やナポレオンは彼を罪人とした。実は彼の作品には「人間の真の自由とは何か?」という、私たちの常識をゆさぶる危険な問いが隠されている。他人を傷つける自由とは?殺人が罪なら、戦争や死刑も罪ではないか?なぜ人は争いをやめられないのか?人間の闇を追求したサドが突きつける危険すぎる思考のワナ。

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サディズム(加害欲、支配欲)の話が中心と思いきや、
個人と社会の対立を考えるものだった。

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自分の欲望を表に出すこと、
具体的には精神的肉体的な苦痛を与えること、
あとはリスクを犯すことによる刺激が行動の目的であり、
反権力とか無神論は結果論なんだなという印象。
そして、その正当性を主張するための作品であると。

よって、主張の論理性について議論することに意味はなく、
近代が社会秩序を作る上で重要視した理性の反対側にある、
人間が持つ非理性的な部分を凝縮したものとして受け取って、
個人と社会の利害関係の対立の中で、
どこまで自由を認めるべきかという問題提起なんだなと。

ただ、創作の中では縛りようがないから自由でいられる。
だからこそ「おぞましい」とも言われる作品が残っているし、
それがこうして議論の下地に挙げられるものになっている。

ちなみに、解説で出てた大学教員いわく、
制限のない自由は思想としてあっても、
社会での実現は難しいのではないか。
サドの理論は利用するかされるかの世界観、
利用する側である強者が振りかざす論理であり、
弱者が権利を勝ち取ってきた人類の歴史にも反するとのこと。

死後しばらく経った20世紀の芸術家から、
理性や先入観から自由で原始的な本能だとして、
作品が評価されたって話があったんだけど、
欲望を出すことを是とするところから、
抑圧されたものを表に出すことを連想して、
フロイトの「性衝動」を思い出した。
ちなみに、弟子のヴィルヘルム・ライヒはもっと直接的で、
「性衝動」をすべて出せって主張だったりする。
ここまで来るとサドとほとんど同じだったりする。
ヨーロッパの中とはいえ、18世紀と20世紀だし、分野も違うし、
フロイトやライヒがサドを参照したとは思えないので、
社会秩序との対立から個人が困難を抱えることって、
普遍性のあるテーマだよなと思った。当たり前か。

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自分のあるがままと社会的正しさが噛み合わなくて、
自分のことを社会不適合者だと多少なり思っているから、
この手の社会秩序と自分を見つめ直す話には惹かれる。
たぶん、折り合いを付けているようで、
何かの拍子にはみ出てる部分が顔を出すんだろうな。

そう、
せめて創作の中では、不謹慎だろうが不法行為だろうが、
表現の自由として許されるべきだと思っているので、
いつの間にか許される範囲が狭くなっていて、
その不寛容から出てくる息苦しさが漂う雰囲気に対して、
ヒステリーで狂う未来しかないなと思う。

自由を勝ち取ってきた人類の歴史に逆らって、
自ら縛られる方向に進むのが不思議でならない。
なぜ、虐げる側の論理にすり寄っているのだろうか、
なぜ、弱者として搾取されるように自らを差し出すのか。

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君が君で居られる理由が 失くしちゃいけない 唯一存在意義なんだ
amazarashi ジュブナイル (作詞: 秋田ひろむ)

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ちなみに、
マゾヒズムも実在人物のマゾッホ男爵から来てるみたいだけど、
あんまり情報なかったんだよね。読んだのwikipediaくらい。

 

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BGMは tiny yawn の euphoria (Al)

もっと早く新譜出してほしかったよ