90才を超えた祖母が亡くなった。
夫(祖父)を見送ってから20年、
子供の近くに住んで孫の世話をして過ごし、
そのうち食が細くなり、ボケが入ってきて、
ここ数年は施設にいたものの、
病院の世話にはならないまま、
ついには水も喉を通らなくなり、
老衰と呼ぶに相応しい形で息を引き取った。
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記憶の中にいる祖母は、
口数は少なく、いつもニコニコし、
親なしで電車に乗れるようになった頃、
何かおねだりをすれば買ってくれた、
孫に甘い姿だった。(祖父もそうだった)
そんな祖母から2回だけ、怒られたことがある。
普段の姿との対比があまりに強いから、
こうして記憶に残っているんだと思う。
祖父母とは、物心が付く頃には既に老いていて、
いずれ来る死を見せてくれる存在だと思っている。
だからこそ、弱っていく過程を見ながら、
近づいてくる死の予行演習をしていた。
それでも、いざ、そのときが来ると、
やっぱり、たらればが出てくる。
これができたなが際限なく思い浮かぶ。
といっても、後悔ではなく、
完璧主義から出てくる、
ささやかなないものねだりだったりする。
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クローゼットの奥から礼服を出して、
黒いネクタイを結び、
慣用句の元の意味の儀式を行いながら、
この世から肉体がなくなる前の、
最後の時間をともに過ごす。
顔を見ると、
思考が動き出す前に悲しいで埋め尽くされる。
鼻水が止まらないので鼻をすする。
普段は避けるタブーの意味、
小箒で集めたときに舞う灰。
淡々と段取り通りに過ぎゆく光景は、
非日常の中にあるはずのものがなかった。
そして、翌日にはもう、日常がそこにいた。
ただ、これからも、ふと喪失が顔を出すたび、
死と向き合うことになるのだろう。
なんか、いつの間にかあっという間に終わったな。
いまも悲しいの雫が目から落ちているけれど。
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きょうだい、子供、甥姪、孫、親戚一同、
みんなでこちらから送り出しましたので、
先にそちらにいる両親やきょうだい、夫や友達との、
たくさんの再会を願いつつ、
今はただ、安らかにお休みください。
ばあちゃん、ありがとう。
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BGMは 美空ひばり の 川の流れのように (Tr)
ひばりが好きだったからとリクエストしたら、
出棺のときにこれ以上ない曲をかけてもらった。