ただの近況報告として書いてるこの雑記シリーズ。
4月後半から6月までの約2.5ヶ月分をお送りいたします。

文字数カウント7046。

これぐらいが通常営業かな。

 

だいたい時系列順に並んでいます。
頭の一文だけ斜め読みしてもらっても大丈夫です。
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---(4月後半から5月)

なんとなく以上の理由はなく、
もう少し年収上げたいと思ってたんだけど、
残業代で年収が上がったのマジで残念。
計算間違ったのかなってぐらい入ってたよね。

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古本屋で100円で買えるような、
Amazonなら300円以下で買えるような本が、
メルカリなら500円以上で売れていく。

過去にトラブルになったの、
予感のあったものばっかだわ。
逆に、予感があったのに、
問題にならなかったものもあるけど。

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雑魚を自認しているから
ちょっとでもうまくいかないとすべて崩れるな。
狼やってるとまじで心が荒むな。
うまくいかなくなると八つ当たりしてるし。

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営業できない、集客できないなら、
自分の名前で集めるより、
なにかの名前で集めるのがいいね。
でも、組織に染まれないしなぁ。
どっちならできるんだろう。

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そういえば、また1つ年を重ねました。
そろそろ年齢を忘れたい。

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ふるさと納税でまた同じ規格外品をいただいた。
キャンペーン込みで14.5%のポイントが返ってくるの、
相当儲かるんだろうな。

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少し話が変わるけど、

ちょっとずつ「改悪」されて徐々に使い勝手が悪くなるの、
この「メタクソ化」だよね。
これもある種の栄枯盛衰。

---(引用ここから)---
余剰は最初のうちはユーザに向けられ、ユーザの囲い込みに成功するとサプライヤーに向けられ、サプライヤーの囲い込みに成功すると株主に向けられる。そうして、プラットフォームは役に立たないクソの山になる。

from メタクソ化するTiktok:プラットフォームが生まれ、成長し、支配し、滅びるまで
---(引用ここまで)---
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再感染するとその後のリスクが高いことや、
自然免疫はだいたい3ヶ月と聞いたので、
眺めのいいとこで4発目を打った。
どうせなら色んなのを打ってやろうと思って、
メイン2つじゃないやつにした。

ちなみに種類が違うから副反応が少ないらしい。
そや、全然なかったな。

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GWは旅行に行かずに家にいました。
絶対、今年は混むだろうなと思ってて、
人の多さにげんなりする予感しかしなかった。
もう今年は平日しか旅行に行きたくない。

ちなみに結果を振り返ると、
新幹線の乗客数は2018年比で100%に近いぐらいだったらしい。

参考: JR6社のGW利用者  コロナ前を超えた路線は?

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毎年の手帳をまとめるやつをGWにやっと終わらせた。
今年の話か去年の話かわかんなくなるから早めがいいわ。

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時間が経ってからまとめると、やっぱり変質しちゃうね。
メモや文章を書いた当時と感覚が違う。
あと、抜け漏れが拾えてない気がする。

雑記がこのまま写真と同じになるのを防がねば。
(と、8月に頑張って消化している)

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チケットの申し込みで紙と電子が選べるとき、
最近はもう電子でいいやってなってる。
その昔は物理的に残らないから電子を嫌がってたのに。

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EX THEATER ROPPONGIの全席指定で、
2列って出てたから喜んでたら、
B1階はいわゆる二階席だったわ。
ちくしょう。

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流行り物にあんまり乗らないタイプなんだけど、
敬愛するミュージシャンと好きなものが近かったからやった。
作ったあとにタグで他の人のも見たけど、
やっぱり一番シンパシーを感じた。

#私を構成する42枚(の音楽アルバム)

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折に触れて名前を挙げていたぐらいなので、
例え表舞台にいなくても、
世界のどこかで生きていてほしいと思ってた。
ある種の自分の分身のように思ってた。

もちろん歌っててほしいけど、
あなたのような人が生きてるだけで、
この世界にほんのすこし期待できるよ。
動画を見続けるかわかんないけど、
これからも頭の片隅で気にかけてると思う。

YouTubeに新規のコメントがあったりとか、
明らかに影響を受けた曲があったりとか、
ちゃんと残る音楽だったんだなと。

 

転校生 「空中のダンス」 - YouTube


っても、リアルタイムじゃなくて今さら知ったんだけどね。

 

きのこ帝国「ハッカ」 - YouTube

 

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---(会津旅行)

去年の秋に全線復旧した只見線に、
緑が深まるこの時期に行ってきた。

今回は小出で前泊して1日で全線乗車。
日帰りも考えたけど、ちょうどいい列車がなかった。

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最初は米どころ魚沼らしく田んぼ。
この時期なので水鏡が美しい。
徐々に山深くなってきても民家がずっとあった。
基礎のコンクリが高いの、豪雪地帯みを感じた。

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最初の寄り道は早戸の霧幻峡の渡しに。
元々は生活に必要だったけど、
橋ができたあとに観光用として残したもの。
生活用の渡船は乗ったことあったけど、
手漕ぎの渡し舟ってあったかな。
思ったより水面が近かった。
舟は放置林の杉材で作ったとのこと。

対岸に着いてからガイドしてもらって少し散策。
キツツキが木をつつく音って初めてだったかもとか、
桐の花が咲いてたのを覚えてる。
近くに硫黄の鉱山があったから土が茶色いとか、
集落で苗字が3つぐらいしかないから、
どこから来たかすぐわかるって教えてもらった。
この集落、土砂災害で移転して廃村とのこと。
ちなみに4度目の移転らしい。

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第三只見川橋梁の撮影スポット、徒歩なら見逃さないよ。

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次は会津宮下で降りて、
第一只見川橋梁の撮影スポットへ。
電動自転車まじで神だわ。
登り坂なのにスルスル進むのむしろ気持ち悪い。

会津桧原駅に近い、橋を見上げるスポット、行ってよかった。
ここで橋を渡る車両込みの写真を撮った。

そのあと、時間に余裕があったので、
三島町生活工芸館や第二只見川橋梁に寄ったりした。
桐箪笥って憧れるよね。

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そのあとはそのまま会津若松まで。
会津柳津のあたりでコンビニを久しぶりに見たり、
塔寺過ぎたら平野に出たりとか、そんな感じだった。

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最近は食事が鬼門で、今回も嫌な予感がしたんだけど、
臨時休業やら売り切れやらで結局、プランEだった。
せめて遠いとこに行く前に電話すればよかったな。

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最後、郡山を経由して帰宅。
E5系乗ったの久しぶりだった。

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1日で15kmぐらい歩いてた。
ちなみにチャリは19kmぐらいだった。
(電動自転車だったけど)

 

平日だけあってあんまり人がいなくてよかった。
ただ、引き換えにお店が閉まっちゃうんだよね。
お土産屋さんも全然開いてなかった。
 

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これで新潟福島両県とさらに東北六県、
JR東日本も完全乗車。

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そういえば、8ヶ月近く旅行に出てなかったらしい。
こんなに旅行の間隔が空いてるのめずらしい。

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だから撮り鉄をやろうと思わないんだよね。

似たような話で、
速さを誇示するための速弾きも好きじゃない。

---(引用ここから)---
Q.撮り鉄はなぜ皆同じ場所で同じ写真を撮りたがるんですか?

まず前提として鉄道写真家と撮り鉄は全く別物です。
鉄道写真家は、鉄道を入れた一枚の絵を描く芸術の様な楽しみ方。
撮り鉄は、正解とされる構図をいかに減点なく再現できるかというスポーツに近い楽しみ方。

つまり、撮り鉄が一ヶ所に集まる現象は100点に近い再現が出来る撮影場所が限られるからです。
しかも鉄道は100キロ近くで動く為、最高ポイント写真はほんの一瞬の勝負です。
これが達成出来た時の快感は、サッカーでゴール決めた時や、バスケで3ポイント決まった時の幸福感に似ており、割と誰でもハマると思います。

一般的には、鉄道写真家が撮る物語のある写真の方がどう考えても素敵です。
しかし撮り鉄には、全部同じに見えるあの無機質な鉄道写真にエクスタシーを感じています。
20万と200万のサックス聴き比べても同じに聴こえるのと同じで、あれは一般人が見ても意味不明なんですね。

from 【Reo】最長片道切符の旅 (@Reo19077530) その1 その2 その3
---(引用ここまで)---
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弱者の立場から振り回すことに罪悪感はあまりないんだけど、
(マネジメントが仕事なんだからなんとかしてって他責モード)
強者の立場から強権的に振る舞うのはやめようと思った。
できるだけちゃんと誠意を持たないとなと思った。

まぁ、立場うんぬんより余裕があるかないかだと思うけど。

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10月から数えたら半年以上、日陰の中にいる。
計画が止まって、周りから置いてきぼりにされて。

でも、頂きもので贅沢できたし、
もう峠を越してるから大丈夫かな。

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そういえば、SIMを乗り換えた。

慣れたところに戻るだけなので特に言うことないかな。

前回は端末を手に入れるためだけだったから。

 

ただ、5分以内の通話が無料だったの、意外と便利だったな。

オプションで付けるほどはしゃべってないので、

G-Call電話で8円/30秒のプランを契約した。

紹介制度あるので気になる人は連絡ください。


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アドラー心理学の基礎 (1985)
ルドルフ・ドライカース(Rudolf Dreikurs)(著), 宮野 栄(訳)

アドラーの本を読むとドライカースの名前を見かけるので、
それならと基礎本を1冊読もうかなと。

元々、去年の11月に読んでたんだけど、
メモが書けないまま放置してたので読み直した。

平明であれど、行うは難し。
一般論として受け入れられても、
矛先が自分の問題に向かうと抵抗する。
アドラー心理学ってこゆことなんだよね。
(ブーメランが刺さってる自覚あり)

ただ、1933年に独語で原著が出ている本が、
1950年に英訳されて、その英訳版を和訳して1985年に出版。
ってねじれ方をしているのでやっぱり読みにくい。
訳もこなれてないし、言い回しがくどい。
そりゃ当然だけど、時代背景が違うので、
人権意識も古いし、例え話も感覚がズレてる。
あとはフロイトとの差異を明示してたのを覚えてる。

オタク向けであって1冊目に読む本ではないかな。
ただ、講義をもとにしていることもあって、
理屈っぽさを嫌う人には勧める価値あるかも。
あと、基礎知識がなくても読める内容。
前半は軽めに入って、後半の章に熱が入ってる。

「甘やかされた子ども」、この傾向が加速してるね。

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そや、確実に本が読めなくなってる。

---(6月)

amazarashiの「たられば」、
いつも親孝行のところが引っかかるんだけど、
やっぱりどこかで親の期待に応えられていないと思ってて、
それに対して負い目を感じてるんだろうね。

親孝行ってどうすればいいんだろう。
と、松ちゃんが書いたチキンライスの歌詞が思い浮かぶ。

---(引用ここから)---
親孝行って何?って考える
でもそれを考えようとすることがもう
親孝行なのかもしれない


チキンライス / 浜田雅功と槇原敬之 (作詞: 松本人志)
---(引用ここまで)---
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あと、若くして亡くした友達がいないから、
「ひろ」、わかるけど真芯に響かないんだよね。
だからユーミンの卒業写真なんだと思う。

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11月に「僕が死のうと思ったのは」が刺さったけど、
今回はもう大丈夫だった。
でも、これからも帰れる場所なんだろうな。ありがたい。

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二村さんのイベントに久しぶりに行ってきた。
もしかしたら10年近く振りだわ。

いいとこ片手で足りるぐらいしか参加してないはずなのに、
帰りがけに二村さんと少し話をしたときに、
初めてじゃないですよねって言われた。
恐ろしいというか、さすがというか。

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そういえば、哲学対話ってのを初めてやったんだけど、
思ってたより言葉の定義がふわふわしてるまま、
話題の範囲が共有できていないなと思った。
ファシリの腕の問題かもしれないけど。

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初めましての人に色々話したときに、
ずっとコンプレックスと向き合ってるんだね。って言われて、
そういえばそうだったなと思った。
自意識という病気を抱えてるから当たり前だったけど、
自意識が全然ない人からするとエラいと思うらしい。

欠落感というか、ハングリー精神というか、劣等感というか、
もう枯れたもんだと思ってたけど、あるにはあるんだね。

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この話ができる相手がいないって思ったら、
それを話せるコミュニティを探さないとダメだね。

ここ最近、どんどん世界が狭くなっている。
手を伸ばす力が弱くなっている。

ただ、小さな世界で十分な生活ができているなら、
それはそれで羨ましがっていたものを手に入れてるかもしれない。

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嗚呼 しくじった しくじった

思ったよりヘコんでる自分に気がついた。

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過去の自分を裏切るほど、知らない世界に出会う。
 

うまくいかないなら開き直ってやり方を変えるしかないんだよな。
余裕がなくなるほど視野が狭くなるから難しいんだけど。

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斜に構えるの、昔より和らいだなと。
もったいないなと思うんだよね。

迎合だと聞こえが悪いかもしれないけど、

裏を返せばこゆことかなと。

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NFL好きってだけでなく、
斜に構えるのやめたもボンネット開けまくりも含めて、
(芸能人ではなく)ひとりの人間に対して、
自分の感情を乗っけたくなるんだよね。
もちろん、芸能界という別世界に生きてるから、
「似てる」とか「同じ」とか、おこがましいんだけど。
(どっちが上とか下とかじゃなくてね)

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たりないふたりをTVerの無料配信で4月からちまちま見てた。
リアルタイムで見ててもおかしくない時代だからか、
古臭さは特に感じなかった。

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だが、情熱はあるの最終回、
この物語の続きは今現在のふたりであることに着地していて、
モデルに対する最大のリスペクトだなと思った。
そして、それに応えるようにtwitterを動かしたのも粋だった。

通奏低音になる裏テーマが「今、幸せ?」だとして、
その瞬間が幸せでなくとも、
客観的に見れば充実してたことを示したのが、
アンサーなんだなと思ったし、
「今、幸せか」じゃないところに、

もっと大事なことがあるんじゃないかと、
問いかけられているような気がした。

友情物語でもサクセスストーリーでもなく、
ほとんどの人においてまったく参考にならないとしても、
それが「たりないふたり」と同じ側にいる我々への、
身の丈に合った生命賛歌だと思った。

「本気の感情を描く」のは人の生の肯定。

こゆ、リアルタイムで熱狂して追って、
毎週楽しみなドラマって久しぶりだった。
(少し脱線するけど、推しの子も割とそうだった)

若林本人が「最終回は狂気だった」って感想を言ってたけど、
フィクションの中で徹底的にリアリティを突き詰めるの、
「この世界の片隅に」と同じだなと。
片渕須直監督の作り込みもやばい。

---(引用ここから)---
人がね本気で悔しかったり惨めだったりする話は面白いんだよ。藤井青銅さんのこの言葉がこのドラマを作る上で自分の中心にあります。本気の感情を描くこと。藤井青銅さんご本人に出演いただき心から感謝です。

from 河野英裕 (@kawano_hidehiro)
---(引用ここまで)---
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---(引用ここから)---
ミニマリズムを実践するということは、片づけ以上にものごとの優先順位を考え直すことなのだ。つまり、「シンプルに暮らすことで、本当に大切なものがわかるよ。そうすれば意味のある人生(Meaningful Life)が見つけられるよ」ということなのだ。

from ミニマリズムが流行っている? - 向後千春note
---(引用ここまで)---

こんまりメソッドって、
片付け術の側面や「ときめくか」がフューチャーされがちだけど、
裏にはこゆミニマリズムの思想があると思っていて、
こんまり本人の「片付いた家に暮らすことをあきらめた」も、
自分の軸になる考え方がはっきりしているから、

状況に応じた優先順位の最適化と、
それに合わせた取捨選択をしているだけの話なんだよね。

と、
あの本を大真面目にやって、今もモノが少ない人間は思う。

---(引用ここから)---
「家は汚いけれど、(今の)時間の使い方は、今のライスステージの自分には合っている」と、記者会見で告白した。続けて、「いままでは片付けのプロとして、家の中を一生懸命に片付けていました。自分にとって良い意味で、ちょっとあきらめがつきましたね。いま、私にとって大切なのは、家で子どもと楽しく過ごすことなのだと気づかされたのです」

from 「片付いた家に暮らすことをあきらめた」こんまり、衝撃の告白。

---(引用ここまで)---

---(引用ここから)---
こんまりさんが育児中の片付けを諦めたという事ですが、ここで「今は片付けよりも子どもたちと楽しく過ごす!」と、すぐ舵を切れるというのは、こんまりさんの頭の中がスッキリと片付いていらっしゃるのだなと思った。思考や目的が整理整頓されているから、優先順位を決める決断力があるんだろう。
 

from しまき (@readeigo)

---(引用ここまで)---

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今この状況でうまくいってないんじゃなくて、
昔からずっとうまくいってないんじゃん。

いつも完璧からの引き算で考えて、
それがたまにうまくいくもんだから、
こんぐらいできてもいいはずが無駄に高いんだよ。

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BGMは Homecomings の New Neighbors (Al)

アニメきっかけだったけど、この空気感好きだから聞いてる