ライブが終わったあとにひと回り年下の子と話したんだけど、
初々しくいちいちに感動してる様子がなんだかうらやましかった。
その界隈に長く浸かったが故に新鮮味がなくなった人の話。
(見る側の)初期衝動が枯れた状態とも言える。
---
かれこれ15年ぐらいライブを見てきて、
狂いだしてから10年ぐらい経って、
その中で酸いも甘いもいろいろあった。
行き詰まって解散活動休止は数え切れないし、
メンバーの脱退もあれば死去もある。
形が変わりながら続けるのも尊ければ、
形が変わるなら辞めるのも潔い決断だし、
形が変わらないのは奇跡なんだと知る。
待ち望んでいたその日が来た嬉しさ、
止まったように見えてまた再開すること、
元メンバー同士が集まったコラボがあったり、
かと思えば1度も姿を見せない人もいる。
見れなかった後悔、それを防げた安堵。
もうないと思ってたことが見られる喜び。
ライブ中に楽しくなって笑いが止まらなくなったり、
そのときの自分の真芯に当たって涙が落ちた瞬間、
曲を通して過去の自分に会いに行く時間。
その日限りの楽器の編成、ゲストとのコラボ、
それをその場でそのまま味わうこと。
最前列で視界を遮られずに独り占めするごとく楽しんだり、
メンバーが向かい合わせに弾いてるその間に挟まったり、
なによりアンプの生音が聞こえてくる贅沢。
遠征と観光と旅行を全部くっつけて、
全国のフェスやライブハウスと一緒に
絶景から文化体験、うまいもんまで、
やりたいことをやりたいだけ全部やってきた贅沢。
そして、これらを経験した過程。
たぶん、この感情を味わった過程こそ宝物なんだと思う。
酸いも甘いも磨かれてきれいな結晶になるんだと思う。
まったく同じ過程をたどる前提で過去に戻るの、
それはそれで悪くないかなと思う自分がいる。
そんなのタイムマシーンがあってもできないのに。
そしてだからこそ、
この道のりをこれから味わえることがうらやましい。
どうか、全力で迷って、納得したより後悔のない選択を。
そして、過去そのときの自分の選択を責めないで。
---
もう何を聞いても何を見ても、
「こんなもんだろう」の範囲内で終わっちゃうんだよね。
過去の経験と結びつけて、ある程度先が見えちゃうというか、
自分の中の成り行きがなんとなくわかっちゃう。
そして、その予想はおおかた当たっている。
たくさんの良い曲を知ってるし、
その曲や人にまつわるエピソードもそうだし、
ジャンルごとの特徴やそこにある思想、
音楽理論や楽器の違いなんてのも含めて、
それなりに知って、多少詳しくなって、
同じ音楽を聞いても切り口や語る言葉が増えるんだけど、
うわぁ、なにこれ。って出会いは減っていく。
引っかかりがないから記憶にも残らなくなっていく。
知ったことが増えたって良いことのようだけど、
眼の前のことに初心に喜怒哀楽が出なくなるなら、
その知識は何になるのだろうか。
自分でも自分の好みをわかってきて、
自分そのものがある程度固まっちゃってるんだよね。
可塑性がまだ残っているのってうらやましい。
今後の経験から自分を形作れる柔らかさ。
新たな面白さを知っていく楽しみ。
その過程そのものを存分に味わってね。
あと、近い話で、
慣れや飽きからそう簡単に逃げられないので、
本当に真芯に当たるものしか長く続かない。
そうやって、全体がやせ細っていく。
--
過去に見てきた、聞いてきた、
忘れられないぐらい鮮明で、美しく、快い記憶。
キラキラ輝く宝石のようでありながら、
身体にまとわりつく重石だったりもする。
思い出の重さで泳げなくなっているなら、
いっそのこと捨ててもいいんだろうな。
時間と同じこの不可逆的な変化に、
文句を言っても何も変わらない。
それでも、次の10001回目の中に、
待ち望んでいた瞬間や、これまでと違う何かが
来るかもしれないと分かっているから、
もうしばらくは続けると思う。
---
BGMは 鈴木愛理 の 26 / 27 (Al)
中島卓偉の名前をミュージシャンとして初めて見た