ただの近況報告として書いてるこの雑記シリーズ。
今回は先週書いた前回の続きというか、
頭の中の話を色々書こうと思います。
どこで何をしてたとかいうタイプの日記じゃないんだけど、
自分からしてみればその時期に考えていたことを書くのは
日記と同じだと思ってるのでこの雑記シリーズの中に。
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「自分に甘い」は本当に自分の核で、 (→自分に甘い)
これに付随する、
これに付随する、
「もらってばっかりで与えない」
この2つで自分の周りにあることは
大半が説明できるような気がする。
恋愛もそれ以外も、
自分の周りに人が集まってるようで
気がつけば孤独になってしまうのは、
そんな理由。
ちゃんと人から必要とされる人間でありたいね。
人から声をかけてもらえる人間になりたいね。
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その時までふたりでいた
過去は変わらないし、
積み上げてきた時間や出来事に
後悔もないし、自信もある。
ただ、もう、
今まで当たり前にあった「明日」が
なくなってしまったことに気がついてしまった。
その時に自分の中の何かが崩れ落ちた音がした。
失ったことを本当の意味で実感したんだと思う。
6月の終わりから半月ぐらい経って
武道館でライブ見てた時に気がついてしまった話。
ボロボロになるのわかって行ってたんだけどね。
だからって引きずっているわけでもなく、
槇原敬之のもう恋なんてしないを
大声で叫べる程度には回復しております。
本当に僕が欲しかったものは
ちゃんと言えたんだって記憶でも
明日の強い自分でもなくて
君なんだ 君が欲しかったんだ
もう。これ。
過程とかもういい。結果がほしい。
こないだ初めて悔しくなった。
たしなみとしての男装を
いい加減できるようにならないとなぁ。
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数年前の行き詰っていた時期に、
頭で考えることより自分の中の声に従って、
その場を目一杯楽しむようにした。
色々なことを諦める選択をしたけれど、
その中で生まれた自信というものがあった。
どんな自分だろうと自分だと認め、
自分で自分を肯定することで得た自信だった。
ただ、その自信は社会(他人)を見ずに得たばかりに、
社会(他人)から見た"気持ち悪さ"を
まったく勘定にいれておらず、
他人から見たらものすごく気持ち悪い自信だった。
最近のある時、
ふと、社会の中にいる自分を見たら、
自分のちっぽけさに気がついてしまった。
自分の気持ち悪さに気がついてしまった。
その瞬間に今まで持っていた自己肯定感が吹き飛び、
ルサンチマンと被害者意識が出てきた。
自信を得る過程でなくなっていってたのに。
いわゆる社会で言われる"正しい"に対して
今まで柔らかく抵抗してきたけど、
どこかで折り合いをつけて、
社会の中で自分を肯定できるようにならないとね。
なんていうか、
back numberでもamazarashiでも、
黒木渚でもシナリオアートでも、
世の中が間違ってるとか、
男らしくいられない(社会から外れてる)とか、
そういった生きづらさを歌ってる人達に
自分の気持ちを重ねて、
自分を慰めることをしてきたけど、
それは家の中でやるだけにして、
外に出たら誰も耳を傾けてくれないことを
分かってないといけないんだ。
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今までも、
したくない努力を避けるための努力は全力でしてきた。
ただ、今は、
したくない努力としなきゃいけない努力が同じ。
さて、どうしよう。こまった。
いい加減逃げられないって
腹をくくれればいいんだろうけど、
それを決めるのは自分であるようで自分でないんだよね。
ありのままでなんて流行ったけれど、
自分がありのままで生きたら野垂れ死んでしまう。
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はやくにんげんになりたい
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BGMは やくしまるえつこ の ニュームーンに恋して / Z女戦争 (Sg)
Z女戦争のセルフカバー聞いて、すげぇ曲だなと思ったけど、
原曲の編曲がヒャダじゃなくて近藤研二だった件について。
原曲の編曲がヒャダじゃなくて近藤研二だった件について。