ひとりの天才が1年前の今日、あっちへ旅立った。
https://www.sonymusic.co.jp/artist/hitorie/info/505751
遅咲きの普通の人になった自分が書く落とし前の文章。
分かる人には分かるし、分からない人には分からない。
ただ、こんなこと考えもしない方が幸せともいえる。
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「表現論」ではなく、「表現"者"論」
天才は早死にする。
死んで伝説になった芸術家は多い。多いから挙げない。
そして、早死した天才は芸術家に限らない。
ビジネス界ならスティーブジョブズや岩田聡、
スポーツ界なら松田直樹。
彼らもまた死んで伝説になった。
ただ今回は音楽バカが書くのでミュージシャンで話を進める。
27クラブなんて言葉もあるぐらいだし。
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異常なほどの心の空っぽさを抱える人ってのがいる。
心の中の苦しさを創作表現でしか解消できない人。
創作活動の中でしか自分の生を実感できない人。
結果としてそれが自身を救っている人。
誰に届くのか、何の意味があるのか、
体力とか明日のこととかそんなの関係ない。
今の自分が生き(ていることを実感す)るために叫ぶ。
叫んでいる間だけは死を見ずにいられるから。
そういえば、
フロムの「愛するということ」では、
生産的な活動は創作物との一体感が得られることで
社会(他者)がなくなり孤独感から一時的に逃げられる
そんなようなことが書いてあった。
命を削って作品を作るなんて言い方があるけど、
あながちそのままなんじゃないかなと思っている。
作品に命を吹き込んでそのまま死ぬ天才も多い。
原因のわからない突然死。デスノートが実在するかのごとく。
一方で生き残った天才もいる。
叫ばなくてももう救われてることに気がついた人のこと。
ただ、それは容易なことではない。
死ぬ物狂いの叫び声によって自分を保ってきてた人だから。
そして、自分が生きることを肯定できたとしても
もう天才ではなくなっていることがほとんど。
そう。生き延びるためには天才から降りないといけない。
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ここからはそんな叫び声のような作品を受け取る側の話。
あくまで私見。異論は認める。
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綴りようのない切実で作られた曲に創作の魔法は宿る
言いたいことはこの一文にまとめられるんだけど、
それだけだと味気ないのでもう少し詳しく書くことにする。
「綴りようのない切実」を具体的に言葉で表現することは難しい。
それが言葉が持つ意味を超えた部分にあるからだ。
そしてそれに形を与えるために表現(創作物)は存在する。
(ポピュラー)音楽は言葉だけでなく歌(メロディ)や楽器演奏が入った形で
1曲に数分かそれ以上という時間をかけている。
我々は創作物を通して描きたかった何かを垣間見るのである。
つまり、「切実とは何か」の具体例は言葉にしにくいが、
それがどういうものか、どんなときに感じるかであれば、
まだ言葉にしやすいと思う。
どういうものかということについては、
切実さとは込められた感情の強さや密度だと思う。
そしてその切実さに受け手は心を動かされるのである。
こうじゃないかと意見表明をする。
といってもこれさっきの言い替えでしかないけど(笑)
そして、どんなときに感じるかについては一番最初に書いている。
異常なほどの心の空っぽさを抱える人。
自分の生きにくさを、折り合いのつかなさを、ゆらぐものを、
創作にぶつける人。自分のことを叫ばずにいられない人。
命を削るような感情を作品に詰め込んでいる人。
そんな作り手の切実さにこちらは心を動かされるのである。
そして、付け加えるなら素人のものとも言える。
職業作家(プロ)は続けることが目的の1つだから、
1つの作品で燃え尽きるワケにはいかない。
そして技術があるから素材となる感情を効率よく表現できる。
でも、素人は次のこととか考えない。
今の自分のことを叫ばずにはいられない。
そして技術もないのでうまく伝えられない不器用さを抱えながら、
それでも一生懸命に何かを伝えようとしている。
つまり1曲で見せようとしている感情の量が多い。
よって切実さがこもっている。(とおもう)
結局聞いているのって昔の曲が多いんだよね。
ってそういうことなんだと思う。
初期衝動で書かれた曲に価値を感じているんだとおもう。
どんなミュージシャンも最初の3枚がいいとこなんて言うし、
1stアルバムマジックなんて言い方もある。
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んで人の名前を挙げて具体例書く。
これがやりたかったんだから。(笑)
燃えないように付け加えておくけど、
好みの話なので異論があって然るべき。
君が好きならそれを誇ってください。
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いま、好んで聞く人にこのままだと死にそうな人はいない。
正確には、切実な叫び声が表現から聞こえてくる人はいない。
ただ、ヨルシカのn-bunaさんと菅原小春はちょっと心配になる。
あと、OKAMOTO'Sの90'S TOKYO BOYSを聞いたとき、
最後のコウキのギターソロはちょっと心配になった。
転校生(水本夏絵)は今でも覚えている。
柔らかい音楽に対して込められたものはすごく怒ってた。
最終的に降りられないまま(死せず)潰れてしまったけど。
今でも時々聞く。代えがたい存在だから。
吉澤嘉代子の初期の頃の良さは金子みすゞと同じだと思った。
生い立ちから来る世間ずれしていない感性がすごくいいと思った。
ただ、金子みすゞは26才で服毒自殺をしているんだよね。
もう天才から降りて職業作家になってるから心配していないけど
あのままだったら彼女も同じ道をたどっていたのだろうか。
amazarashi秋田ひろむも昔の作品の方が描いてる絵がきれいだ。
ただ、地方都市のメメント・モリは天才を降りたあとに書いたのに
ものすごくいい作品だった。だから自分の中で評価が高い。
長く聞いているとそういうことに時々出会う。
back number清水依与吏だとパレードとか瞬きとかね。
それって切実で書いていない作家として書いた作品を好きなんだ、
つまり、作品からにじみ出るパーソナリティが好きなんだなと思う。
あと、グッドモーニングアメリカ金廣真悟も同じ。
忘れモノ、帰りのカーステレオといったデモの曲が好き。
餞の歌も書き直す前の歌詞こそ切実が詰まってる。
例えばヒロ、お前がそうだったように(竹原ピストル)は
綴りようのない切実の欠片がたくさんあるように思う。
「歌で人を変えることはできない」というけれど、
「人が抱く綴りようのない切実」に歌は力を与えられると思う。
歌で人を動かすことはできると思う。
9mm 滝善充、黒木渚。ジストニア。(の疑い)
ジストニアって自分の筋肉を思ったように動かせなくなる病気だけど、
エネルギーを注ぎすぎて神経が焼き切れたんじゃないかなと思う。
緊張して余計な力が入ったときの(身体的な)疲れの積み重ねというか。
定量性がない、科学的姿勢のないただの一般市民のひとり言だけど。
そういえば、
表現をする人間が作品に込める何かを通して、
人と人がコミュニケーションをしている様子を描く
「この音とまれ」はすごくいい作品だと思う。
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フジファブリックとヒトリエ
2つバンドを重ねながら思うところを。
志村正彦が死んで山内総一郎がフロントに立って10年。
去年、フェスで40分尺のライブを見たんだけど、
志村曲は若者のすべてだけだった。
フジファブを特別視しなくとも普通に考えて、
代表曲でもない限り10年以上前の曲を歌うことは少ない。
そして、今のフジファブに志村が見えることはほとんどない。
もはや志村がいたフジファブと別のものになっていると思った。
その上でヒトリエの話。
この先、シノダ、イガラシ、ゆーまおで活動するだろう。
シノダが歌うライブも去年の11月に見た。
ただ、wowakaさんとシノダじゃボーカリストとして、
ひとりの人間としてキャラクター(個性)が大きく異なる。
シノダがフロントマンとして、リーダーとして主導権を握るなら
今までのヒトリエとちがうものになるだろうと思った。
だったら別の名前で活動したらいいのではないか。と思った。
これはフレディー・マーキュリーもジョン・ディーコンもいない、
ブライアン・メイとロジャー・テイラーだけのQUEENが
QUEENを名乗ることの是非と同じ話なので正解はない。
1人の意見を書いたというだけの話。
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考えのソースやら似た話
クロスロード (正しいネガティブのススメ)
世界への復讐のつもりだった amazarashiインタビュー
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あと、もうリンク切れてるんだけどこちらも紹介したい。
名曲「UNLIMITS/クローバー」に見る、ロックバンドの本気
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BGMは ヨルシカ の 夜行 (Tr) <Youtube>
n-buna、あんたは死ぬなよ。