旅行記その2

去年に続き農業支援ボランティアへ行ってきました。

今年もまたお世話になりました → マイファーム宮城亘理農場

※ボランティアへ行かれる方は保険に入っておいてください。
 
参考記事 → 【ボランティアの基礎知識】『ボランティア活動保険』ってなに?


旅行全体の目次記事 → 新潟仙台旅行 (Ameba)
旅行全体のアルバム → 新潟仙台旅行 (face book)

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今年は時期がズレたことと、

トマト自体が去年より出来が良くなかったため、

畑にはほとんどトマトがありませんでした。


実際にした作業もその後の畑に植える

白菜や大根の種を蒔いていました。収穫は80日後らしいです。


作業自体として考えさせられたのは、農薬を撒いたことです。

農薬という言葉から一般的にはポジティブなイメージは出てきませんが、

きちんと目的があり、必要性がある場合もあるワケで。

思考停止状態で"農薬=悪"ってのはただの無知なんだなと。

そんなことを地元の人にどんなものなのかを教えてもらいながら思いました。



そういえば、収穫したトマトで作った

トマトケチャップとトマトジュースがネットで買えるそうです。


→ 
マイファーム宮城亘理農場 オリジナル商品販売

ケチャップを食べましたが、非常に味が濃くて、

パンにそのままつけて食べても十分でした。

上からチーズをかけて溶かせば具なしピザにできそうだったし。


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ここからは自分の目で見た、耳で聞いた被災地のことを書こうと思います。


まず、鉄道ネタ。
去年行った時は亘理駅まででしたが、
今年行った時はひと駅伸びて浜吉田駅までになりました。
しかし、この先の相馬までの区間は線路移設してからのため、
少なくともあと3年はかかるみたいです。 →参考資料



そして、ボランティア先の宿泊所の写真。
もともと地元の人が住んでたんだけど、
事情があり今は事務所兼宿泊所として貸している"普通の家"でした。
去年少し書きましたが、常磐自動車道を境目に
海側と山側では津波の被害が違っており、
今回泊まった宿泊所は海側で、津波の爪痕が残されていました。
この家はまだ少し高いところにあったためこの高さでしたが、
モロに被害を受けた家は1階の天井近くまでだったようです。



去年と畑に行った時に景色が違ったのが、
新しくビニールハウスができていて、
もともと亘理で行われてたいちご栽培をするための通称いちご団地だそうです。
これで震災前に戻る感じですかと聞くと、
戻れる人は戻る。と答えをいただき、続けて教えてもらったのは、
今は建ててもらったけど、何年後かに買い取らなきゃいけなくて、
後継者の問題とかをクリアできる人はここで続けていく。とのことでした。


これは自分が感じたことですが、
継ぐ人がいるかという話や、どういう売り出し方をするかとか、
日本中の農村や地方が抱える町おこしと同じような問題なのかなと思いました。
前提条件として被災地という難しい、複雑な状況がありますが。


少し暗い話になったので最後は美味しいものの写真を載っけます。
牛たんは正直、あまり庶民の味ではないそうですが、
はらこめしは各家庭の味があると教えてもらいました。
ということで少し"いいとこ"で食べたはらこめしです。
煮た鮭に味のついたご飯、そしていくら。そりゃうまい。



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ここまでの小まとめをすると、


もともと、この旅を企画したのはボランティアが頭から離れなかったからでした。

去年ボランティアをした時に、これを一度きりにしては意味がない。って思って、

今年の夏になってからいつの間にかその言葉に自分が縛られてて、

自分で自分を追い立てるようになってました。

その中で、ちょうどいい期間を見つけたので実際に今回の旅に出ました。


やはり継続の意味は大きいなと思いました。

去年と今年で違う風景もありましたし、変わらないものもありました。

一度きりだと点だったものが二度行くことで線となります。

今年は去年と違う面から経験したこともありました。


そしてここにふたたび言います。

継続しないことに意味はない。と。
また必ず行きます。と。

今回、さすがに1人で行くのは気が引けたので何人かに声をかけました。

結局、うまく予定が合う人が誰もいなかったので1人だったんですが、

きっかけがほしい人、ぜひ一緒に行きましょう。


次は11月か5月か8月か。この辺で考えています。


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120 min
BGMは ポルノグラフィティ の 青春花道 (Sg)
とりあえず書き出してみた。
ポルノってだけでとりあえずCDは買ってるし。