ここ最近毎週ライブに行ってることに今さら気がつく。
調べたら7月入ってからずっとみたい。

なんてFBに書いたんだけど、

ここ最近、遊ぶことといえばライブに行くことしかしてない。

"なぜこんなにもライブに行くのか"という至極根本的なこと、

少し広げて、自分にとって"ライブ"とは何か。ということを書こうと思う。


---

実はアーティスト個人に対する興味があまりない。

ステージ上にいる演者に対する興味はあるが、

ステージを降りたアーティスト本人にあまり興味がない。

あくまで演者と観客という関係性でいいのである。

ステージ上でしゃべるMCに興味があるけど、

友達同士のような会話をステージを挟んでしたいワケではない。

だから、プレゼントとかしないし、出待ちとかもしないし、

楽屋裏に行きたいとか、打ち上げに参加したいとか

対等とまでいかなくても、同じ目線やステージに立った

個人的な向き合ったコミュニケーションを欲してるワケではない。

実際、目の前にそんな機会があればホイホイ喜んで行くだろうから

"それがなくてもいい"ぐらいの言い方が正しいとは思うが。

そう。相手は芸能人だと割り切ってテレビ画面を見ているのと同じだと思う。

そこにキャッチボールのようなコミュニケーションはない。


そういえば、サイン会って個人的なコミュニケーションが取れる場なのに

全然しゃべらないで終わるとこもこの辺に関わってると思う。

あと、サイン会のために会場で同じCDを買ったりとかもしないし。


(追記 9/8)

後になって気がついたのが、

アーティストのことを音楽以外で嫌いになりたくないということ。

いい音楽の作り手にはそれだけで人間的にも好意を持っているけど

いざ、個人的に深く関わって、

アーティストとしては好きだけど、個人としては嫌い。

なんてことになってほしくないんだ。

会ってみて幻滅した。ってのが怖いんだ。

だから自らが見せるステージ上、メディア上で判断したいんだ。


---

ファン仲間ってものもほしいけど、"それがなくてもいい"

また、ライブを軸としてない、普通の友達と同じ時間を過ごすのも目的じゃない。

もちろん、チケットを2枚取ったり、ファン仲間と話すこともあるけど、

ひとりでライブハウスまで行って、誰とも会話をせずにライブハウスを出て帰る。

なんてことはいくらでもある。というか大半がそう。
(だからこそライブレポ書いてひとりごとという"会話"をしてるかもしれないけど)


広い意味では同じ空間にたくさんの人がいて、みんな仲間だとかいうけど、

それは同じ満員電車に乗り合わせた人同士ぐらいのつながりだと思う。

必要なら助け合ってもその場限りで個人的な関係を築くワケではない。



(追記 9/20)
例え誰かとライブに行っても結構孤独感というのは残ってたりする。

ライブに行くこと自体は同じ景色を共有することだけども、

ライブ自体は向き合ったコミュニケーションの時間ではないからだ。

あくまでライブの間はアーティストと観客ひとりひとりとの

コミュニケーションの時間で、観客同士でなにかすることはほとんどない。

むしろ、隣に知り合いがいるとムダに気をかけてしまって、

ライブに若干集中できてない。特に付き合いが浅い人だと。



終わった後にご飯なり飲み会なりをしないと仲良くならないと思う。

アーティストの名前はその集まりの予約の名前にしかならないし、

ライブは肴にしかならない。

仲良くなる事自体にアーティストもライブもほとんど関わらない。


あくまできっかけにすぎない。

もちろん、そゆファン仲間はほしい。なら自分から誘えよ。


修学旅行を一緒に行っても違うクラスとかだと

話せる思い出は個人間のやりとりではなく、観光地のことだけだったりする。


そんな少しの寂しさを伴った思い出の共有。それに似てると思う。


---

純粋にいい音楽を聞きたいのであればCDで聞いてればいいと思ってる。

ライブハウスで聞いてるとアコギの音とかだいたい聞こえないし、

人数の関係で弾いてない演奏とかある。

だからよっぽどCDの方が緻密で繊細に作られてる。

さらにいうなら、

ライブで聞いてる時でさえ、CD音源が頭の中で鳴っていて、

それを基準にして目の前の音楽の評価をしている。

トチったのを"いいアドリブ"なんていうのはCD音源が基準としてあるから。

歌詞間違えだってそう。CDに歌詞カードがあり、それが基準になるから。

個人的にはCD音源通りの演奏のほうが好きだったりする。

もちろん、"CD音源と違うアレンジ"に対して

CD音源通りがいいなんて闇雲に言う原曲主義者ではないけど。



しかし、その微妙な違いを楽しみに行ってるとも言える。

CDでは何度でも同じ音楽が聞けてもライブで同じ音楽が聞けるとは限らない。

ミスだってあるだろうし、アドリブだったり、狙った演出があるかもしれない。

つまり、"生きてるもの"だ。

なにが起こるかわからない。


だけど、同じツアーを何度も見ようと思わないのがまた不思議。

インスタントコーヒーとドリップコーヒーの違いを気にしないのと同じように、

同じツアーのライブは違いがないものとして感じているのだと思うけど。

(あまり違いがないことにお金をかけたくないだけなんだろうけど。)


---

ここまで散々書いてながら明確な理由を書いてないんだけど、

そろそろ書くことにする。ライブに行く醍醐味を。


去年の夏に18切符で仙台まで行った。

その時にこんなことを書いた。


---(引用ここから)---

やっぱり旅はいいなと。

(中略)

情報を自分の五感で処理できるから。

その情報を自分で取捨選択できるから。

自分の感覚でその世界を味わえるから。
---(引用ここまで)---


ライブにおいても同じことが言える。

ライブハウスという"場"を"空間"を味わうために行ってるんだ。


ライブDVDがあまり好きじゃないのも、

目に映るものを一方的に押しつけられてるからが大きい。

あと視野に映る画面上の大きさでしか見れないから。

それに、音楽だって基本的にCD音源でいいと思う人だから。

できるだけDVDではなく映画館で映画を見たいと思うのと同じかな。

ちなみに、サッカーの場合は自分の見たいところと

テレビ画面で映してるところがだいたい一緒だから

スタジアムじゃなくてテレビ中継で意外と十分だったりするんだけど。

だからって録画された試合を見ることはしないので

これもまた、どうなるかわからないということを楽しんでるんだけど。



自分はこのライブハウスという"場"で出されるモノを味わうためにライブに行く。

この瞬間、この人はこんなことをしてるんだとか、

こんな演出でこの曲を聞かせてくれるんだとか。

それを自分から能動的に選んで味わえる自由。

自分にとって快感をその自由によって掴んだこと。

これが自分にとって"気持ちいいこと"だからライブ行ってるんだと思う。


(追記)11/6
妙に9月は活動休止前ラストのライブに行くことが多くて、

そのあと、少し落ち着いてから思ったことを。

活動休止や解散をしてしまうとそのアーティストに触れることがどうしても減る。

そうするとそのアーティストの曲達がどんどん古くなっていく。

"あの頃聞いてた曲"になってしまう。

その記憶や思い出に触れるきっかけにライブはなると思うし、

ライブに行くことで記憶が更新されるし、新たな思い出が積み重なると思う。

それこそが"あの頃聞いてた曲"にならない方法だと思う。

そして、音楽自体は家で聴くことでもできるが、ライブには敵わない。


---

で、今でも毎週行ってるんだけど、

これからさらに過激にライブに行くので

しばらくはライブレポブログになりそうです。(笑)


---
120 min
BGMは きゃりーぱみゅぱみゅ の なんだこれくしょん (Al)
Super Scooter Happyのカバーがたまらないわ。
ぱみゅをあの頃のcapsuleの路線で曲作ってくれないかなー
といいつつ、さいごのアイスクリームのデジロックの新鮮さもいいなと。