自分過ぎる人

先日の杉田さんの書いたblogのタイトル。
(ちなみに結構依存的タイプですw)

ここの後半の話と、掲示板でのやり取り。

それがひっかかるというか、脳内に残ってる。


◇思い返せば、

今まで比較的自由にやりたいこと、言いたいことを我慢せず出してきた。

うまくいっても"当たり前"というか、そんなありがたみを感じられず、

それでいて失敗したら怒られる。そんな結構損な性格。
("後悔"しかできないんだよね。事前に防げないというか。)

それが、子供の内は笑って済まされてたのだろうが、そろそろそうも言ってられなくなる。

その結果が先の教授の話であり、主任の話である。(→元ネタ記事)

そんな目上の人の地雷を踏むのが得意では世の中ではうまくはいかない。

だから男社会とか縦社会というのは不得手だ。

そして、その地雷をきちんと見つける行為を怠っている節もある。
(苦手でもある。)


◇振り返ると

先日のblogの教授の話になるが、その教授は見た目40ぐらいなので、

年齢が半分の20のガキに馴れ馴れしい態度を取られたのが気に食わなかったのだろうか。

自分に置き換えれば20の半分、つまり10才、小学生のガキ。

先生、教え子という関係性に基づくなら、家庭教師のバイト先の生徒というところだろうか。

時間の流れの相対性という考え方が気に入ってるので、その考えに基づくと

時間の経過に関して教授からしてみれば自分の感覚の半分。

自分からしてみればこれぐらい大丈夫だろうという付き合いの長さの感覚も相手からすればまだ不十分だったのだろうか。

自分の感覚に置き換えるとだと少しバイトで付き合ったガキに自分の痛いとこを突かれたら

たぶん、頭を出させて軽く叩く。もちろん愛情を込めてだが。

感情を表に出す方法の違いはあれど、根本にある"怒り"とか"不快感"という感覚は同じだろうか。

そうたぶん、攻めすぎていたのだろう。


◇話が少しスライドするが

自分からすれば

たとえ年下でも心を開いてくれてる感じがするので馴れ馴れしい態度というのは嫌いでない。

だがしかし、それが嫌いという人も当然いる。

そして、それを尊重すべきである。と教えてもらった。

その距離感の測り方としてスモールトークとか、敬語とか、手紙やメールの前文を使うのか。

主任の件では敬語といか、姿勢、態度がマズかったのだろう。

でも具体的なポイントは未だにわからないし、辞めた以上、今さらそれを教えてもらえもしない。

ましてや"自分のどこが悪かったんですか??"と聞けば、それこそ地雷を踏むハメになるし。

怒るだけ怒ってあとは自分で改善しろというのもなかなか難しい話だなー。

教授の件では前文で失敗したのか。

本文も結構ふざけてたけども、メールで指摘を受けたのは前文のところだった。

メールでの前文だけ、あげた3つの中で苦手意識がある。

めんどくさいし、機会もなかったし、やってこなかったこと。

すこし練習しないといけないようだ。


◇尊重する態度

自分に向けていたエネルギーを少しでも他人に向けたらいいじゃん。

と頭では簡単に思う。

例えば料理の取り分けとか、できることもある。

でも、人の感情とか思いを汲み取るのはどうも苦手。

自分にとっては果てしなく雲を掴むことに挑むような気がする。

それに失敗して開き直ってる節があるので、どうもうまく行く気がしない。

人の気持ちを考えるというのは自分をスタートに考えた時点で100%の精度などない。

ましてや、違う世界に生きてる人ほど、過去も現在も違う。

それでも、尊重しようとする態度ぐらいは少なくとも日本人の間ぐらいなら通用するのではないか。

それが、たとえ地雷を踏んでもそれを優しく教えてもらえることにつながるのではないか。

だから、この辺を意識して練習しよう。

そろそろ言ってもらうことに頼るのを脱却しよう。

経験値とかレベルが低いならそのままいてもうまく行くはずもない。

いきなり、うまく読めるようになれるはずもない。

某RPGみたくレベルアップしたら音楽鳴らないかなー




最後に。

読んだ時からひっかかってたいかりんの

◆もっとわかり合える

を書きながら思い出した。

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180min
BGMはmiwaの片想い、秦基博のエンドロールEP
ちなみに今回、アメブロの投稿フォームに直書き。
(メモ帳に書いたり、携帯で下書きとか違って勢いで書いてる系。)