先に申し上げますが、
僕はスゴイ学歴がある訳でもなく、スゴイ何かの実績を残した男ではない。
纏まりのある文を作ることすら出来ない人間である。


そんな、
とある23歳になろうかと言う男の
考えを今から文にしていきたいと思う。




ただ1つ
例えばDVDを借りたり
映画館へ行き2時間もの映画を見て
見終わってから、面白くなかった。と
思うような話では無く
私はこう思う、私はこう感じると言った
読者がそれぞれの頭の中で
少しは考えて、何か活かしていけるような
話をお届けしたいと思います。






「どのような人生を歩んできたのか」

と言う所から話をさせていただく。

中学時代からの話にはなるが
当時僕は塾に通い偏差値55程あったので
少し賢いぐらいの高校には行く事ができた。

しかし、当時から夢があり甲子園を目指し
僕は野球をしていたのだが、
中学2年の夏、右肘の手術を行い
野球を続ける事を医者はおススメしなかった。





俗に言う「ドクターストップ」だ。






それでも、甲子園では無くても
野球と言うスポーツで
全国大会に出場したいと思いが強く
軟式野球と言う、
いわゆる甲子園を目指す硬式野球と違い
少し柔らかいボールを使う野球をしようと
決めた。




ただ、ここで1つだけ疑問が生じた。




それは軟式野球で全国を目指し
高校を選んだ場合、偏差値を15ほど
落としての入学となる。

僕の家は母子家庭で富裕層では無く
どちらか言えば貧困層であった。

ただでさえ、朝昼晩の食事を
用意してもらって、ましてや高い月謝を払ってまで塾に通わせてもらって
一人前のサラリーマンになるようにと
母は切磋琢磨し仕事に取り組み
僕に人生を託したかのように接してくれていた。



その頑張りを踏みにじるかのように
偏差値を落として学歴を取るのではなく
生涯、自分の中で「活きる」コトを
成し遂げたいと言う想いが強く




勉強(学歴)<野球

を、選んだのである。





結論から言うと
結果は全国大会へ出場することは
出来なかったものの
府大会で準優勝し、近畿大会と言う
1つの目標地点には着地する事が出来た。



まずここで感じていただきたいことは
話の内容は正直
赤の他人の話だからどうでも良い事だと思が

目標に向かう精神力と言う部分を考えていただきたい。




人はそれぞれ顔が違うように
思いや意見も違う。
それは当たり前のことである。
だから、このような考え方の人も居るんだ。
と言う、そのような軽い感じで読んでいただきたい。


僕は
この選択に対し1度も後悔した事がない。
もし結果的に何も成績をあげれてなかったとしても
もちろん後悔はないだろう。


なぜなら、簡単な話ではあるのだが
自分がしたい事を出来たからだ。




もし、普通の少し賢い高校へ行き
肘の影響で硬式野球をする事が出来ずに
普通の高校生活を送っていれば
普通の人間になっていた思う。


普通と言う言葉は、僕にとっては
本当につまらない言葉だ。


それならば、下か上か
ハッキリさせた人生を歩みたい。




目標と言うモノを達成する為には
必ずしもリスクを背負う。


前述からの話で言うと
塾の月謝や、親の気持ちに
応えることが出来なかったかもしれない。いや、出来なかった。
しかし近畿大会と言う肩書きを
手にする事は出来た。


もっと簡単な例を挙げよう。
例えば、NSC(吉本総合芸能学院)

芸人になりたいと思っている人は
必ずしも芸人になって
テレビの前に映ることが出来るとは限らないが
高いお金を払い、リスクを背負い
この育成所へ通う。


結論的に言うと、そのリスクを背負い
挑戦しなければ、未来は開くことができない。



失敗を恐れて行動しない者は
何も得ることができない。




知っている方も中にはいるかもしれないが
世界で活躍する
イチロー選手の平均の打率は3割。


簡単に述べると
世界でもトップクラスで活躍する人でも
7割は失敗しているのだ。



成功も失敗も紙一重ではあるが
成功している者は必ず努力を怠らない。


当たり前のことではあるが、
努力が必ず報われる世の中ではないが
努力しない者は、なにも掴めない。


人生は努力の対価であると思う。






ここで僕が言いたい事は、
これをしたい!あれをしたい!と
思う事は誰でも出来る。



結局、行動に移す事が出来てない人間が
この世に多く存在する。



だから人生楽しくないだの、つまらないだの
言葉にする者がいる。




楽しくないのなら、
自分がしたい事をすれば良い。
つまらないのであれば
自分が好きな事をすれば良い。

弱音をすぐに口に出す者は
それまでの人間で終わってしまう。
そこで価値が決まってしまう。




もちろん僕自身も
決断をするときに戸惑いや、その先を考えた時の不安はあった。




でも挑戦しなければ何も始まらない。
結果的に失敗したとしても
そのプロセスは、自分にとって
これからの将来必ず生きる。



自分がしたい事をして、
すぐに「いまが幸せだ」と言える人は
いろんな困難にぶつかり、乗り越えた人間だ。



僕はそのような人を見て
尚更、頑張ろうと思える。




その結果、自分でしたい事を
常に思い続け
就職したのだが、退社し
自分自身で店を出したいという事で、
新しく飲食界の道を歩み出した。
もちろん、まだ始まったばかり。


これからどんな困難が、リスクに追われるか
逆に楽しみである。



僕自身、今まで習い事も部活も
学生生活も全て途中で投げ出さず
終わりが来るまで、やり遂げてきた。

その中で、就職してまだ数ヶ月ではあったが
会社の方針と僕自身の意見が
噛み合わなかった為退社することに決めた。


もちろん最初は「辞める」ことに対して
とてつもない抵抗があった。


しかし、自分の胸が痛いまま
生活していく事は、それは「我慢」ではなく
「無理している」事だと気づいた。


「我慢」と「無理」は紙一重で
人のメンタルによっても違うかもしれない。
ただ、自分の意思はしっかり持つ事。



例え相手が会社の偉いさんであったとしても
先輩であったとしても
間違ってると思うことに対しては
正直に言う。



間違ってると思うことでも
そこで「うんうん」や、「はい」と
言う返事をしている時点で
僕は「無理」をしていることだと思う。


嫌われたくないのは、誰でも同じ。
ただ自分の思考や意思を持ってないと
その人は人間としての「価値」が
低くなってしまうと思う。

言われたことだけを行うことは
ロボットでも出来る。

近代社会が発達している現在
ロボットがこの世の多くの物事を行う事になるだろう。

そんな優れているロボットに対して
人間は、心、感情を持っている。
そこの違いをしっかり把握して生活すれば
ロボットに負けない強い人間になれるだろう。










この世の中は、
「お金が全て」や「人脈が全て」
と言う人が多くいる。

僕自身も、両方大切だと思う。



ただ最近思うことは
「信用」が全てじゃないかと。


例えば、友達と約束し
待ち合わせ場所で合流する。

これは何気ないことであるが、
「信用」しているから
その待ち合わせ場所に行く。


もし信用せず、あいつ来るんか?と
お互いがそのような感じであれば
行かないだろう。


この例えば少し下手だったかもしれない。


別の例を挙げてみる。

いま多くの若者がしているネットビジネス。
その中でも、

「私と一緒に稼ぎませんか?」などと
赤の他人に声をかける。


いわゆるネズミ講のようなものだ。
ネズミ講がわからないと言う方は
Wikipediaなとで調べていただきたい。


簡単に考えても
もし、それが本当に稼げるとすれば
自分の知人や友達に声を掛けるだろう。

なぜ全く知らない人と稼ごうとするのか。
全く意味がわからない。

もちろん全くの赤の他人で
「信用」がないからする訳がない。



それを赤の他人なのに
すぐ「やる」と言う考えに至る者は
完全な「バカ」である。




自分だけが儲けようとして
友人を上手く利用する者は、「大バカ者」

友達がいない世の中に
何が残るのか。



周りを大切に出来ない者は
自分を大切にできない。




結局信用と言うモノは
すぐに築けるモノではない。

長くから積み上げてきたお互いの壁を
少しずつよじ登って
信用と言うモノが生まれる。




これだけの文章を読んでいただいて
少し疑問に思う箇所があるだろう。


僕は
「物」を「モノ」と書いている。

物は目に見える物だが
モノは見えないモノ。



目に見えない部分で
いかに成長出来るかが
これからの人生を楽しめるか
楽しめないかは大きく変わるだろう。



起承転結どころか
まとまった結論もない文ではあるが、
僕が読者に伝えたいことは



1.挑戦すること、行動すること

2.我慢と無理は違う

3.信用を大事にする



3つとも聞き覚えがあるような言葉だと思うが
実際に、行動出来ていない人が多い。

自分に自信をもって
楽しく生きよう。



読んでくださりありがとうございます。
何か感じて、やる気が少しでも起これば
僕は嬉しいです。

また2章も書きます。

2章、3章、etc...となっていけば
いずれ1つの本にしたいな!と
考えています。

また、是非よろしくお願い致します。


ぜひコメントもお願い致します。



                                            k.kotani